四街道町護国神社 [護国神社]
四街道町の護国神社。
となりの敷地には自衛隊の宿舎があって日章旗が掲げられていた:
その反対側は公園、津之守児童遊園があって
なぜかブランコは全て椅子が取り外され骨組みだけ:
「四街道町護国神社」とある。
昭和49年12月吉日、街道町遺族会によって再建とある:
陸軍大将男爵田中義一書/忠魂碑:
支那事変以降戦没者(昭和28年11月 千代田町建立)の忠魂碑:
昭和12年以来の旭村戦争犠牲者のための碑
頌徳(しょうとく:徳(e.g.:優れた人格)をほめたたえる)とある
(昭和23年9月 旭村招魂碑石保存会建立):
西南役戦没者、北清事変戦没者、
明治丗7-8年 日露役 忠魂碑
(明治丗9年7月建設):
この護国神社は誰が支えているのだろうか?
お賽銭箱は無い。
これまでは遺族会の方々がいたとしても
これからは…このままだと
NHKや朝日新聞の歴史の嘘に騙された世代は
「戦争賛美の象徴だ」とも思わされてしまうのかもしれない。
連中を駆除しなければならない:
---
千葉県 四街道町護国神社 の場所:
規模が大きくて忠霊塔も隣接している千葉県護国神社
から少し離れて JR 四街道駅から北で市役所から南西:
郵便局から近く:
四街道町護国神社:
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となりの敷地には自衛隊の宿舎があって日章旗が掲げられていた:
その反対側は公園、津之守児童遊園があって
なぜかブランコは全て椅子が取り外され骨組みだけ:
「四街道町護国神社」とある。
昭和49年12月吉日、街道町遺族会によって再建とある:
陸軍大将男爵田中義一書/忠魂碑:
支那事変以降戦没者(昭和28年11月 千代田町建立)の忠魂碑:
昭和12年以来の旭村戦争犠牲者のための碑
頌徳(しょうとく:徳(e.g.:優れた人格)をほめたたえる)とある
(昭和23年9月 旭村招魂碑石保存会建立):
西南役戦没者、北清事変戦没者、
明治丗7-8年 日露役 忠魂碑
(明治丗9年7月建設):
この護国神社は誰が支えているのだろうか?
お賽銭箱は無い。
これまでは遺族会の方々がいたとしても
これからは…このままだと
NHKや朝日新聞の歴史の嘘に騙された世代は
「戦争賛美の象徴だ」とも思わされてしまうのかもしれない。
連中を駆除しなければならない:
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千葉県 四街道町護国神社 の場所:
規模が大きくて忠霊塔も隣接している千葉県護国神社
から少し離れて JR 四街道駅から北で市役所から南西:
郵便局から近く:
四街道町護国神社:
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こんにちは。
>なぜかブランコは全て椅子が取り外され骨組みだけ
危険だということで、公園から遊具が消えつつあります。
危険・責任を回避する方法として撤去がされているからです。
事故が起これば管理責任を問われ賠償問題となるからです。
(親の子に対する指導・教育責任ではありません)
危機管理とは、危険を回避するための仕組みや智恵であるはずです。
痛い思いをせねば分からぬこともあります。
痛い思いをすることもないから、危険を察知・想像する能力も退化していきます。
どんどん日本は、腑抜けにされている気がしています。
by 元気 (2010-02-02 12:08)
元気さん、
ブランコは骨組みだけ 2組(3組?)。
なんか間抜な公園です。
間抜け、もとい、日本の癌、日教組の
偏向教育方針も大きく影響しているのでしょうね。
by genn (2010-02-02 22:21)