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近代史06 蒙古来襲 [近代史]

スペイン・ポルトガルが日本にやってくるよりも300年ほど前、
日本はモンゴル人の国、元帝国の侵略攻撃を受けていた。
蒙古来襲。

ところが偶然に、だとか 祈り、だとかのおかげで
神風が発生、モンゴル軍の船はことごとく沈没、神風が日本を救った。

というのは違うらしい。
違うと思う。


元帝国はとにかく でかかった。
いまのロシアの2倍以上の国土、中国や米国の3倍以上、
欧州東部からアジアほぼ全域の史上世界最大の国。
たった70年でこのでかさ。

モンゴル軍は1000kmの大平原を1週間で走破。そんな長距離を走ったって、
兵士一人に軍馬二頭をつれてたので馬はなかなかくたばらない。
鎧に兜は保温性を重視、そんな重くないから兵士だってなかなかくたばらない。
数万の軍勢は数十万の軍馬で移動、そして走りながら襲いかかる。
コンパクトな短弓で短矢を一斉に雨アラレと解き放つ。

「空はあたかも真黒な黒雲の来襲」のように毒矢が飛んでくる。

手持ちの盾は子供だまし、矢がどこかに刺さる。
負傷兵めがけて複数の軍馬上からとどめをさす。
降伏しようがなにしようが戦った相手は全て殺しつくす。
モンゴル軍が通った後は ぺんぺん草も生えてやしない。
どいつもこいつも大敗を喫した。

そんな国が日本を攻めてきた。
約900隻の船、4万人の軍勢で、ところが失敗。
次に4400隻の船、16万人の大軍が攻めてきた、ところが失敗。

なぜか。


神々が宿る日本の国土は山あり谷あり、川もあり。平野は少ない。
そんな国土ではスピードを武器にできない。
雨アラレの短矢を放つも日本の武士は平気でつっこんでくる。
日本の鎧はやわじゃない、ごつい。短矢なんかはじき返す。
つっこんできた武士は盾なんかもたない、重い日本刀を両手持ちで切りこむ。
日本刀は元の兵士に鎧や兜を一振りでまとめて真っ二つ。

「二十世紀の武器収集家であるジョージ・ストーンは、
 十六世紀制作の日本刀によって、
近代ヨーロッパ製の剣を真二つに切る実験に立ち会い、
 十五世紀の日本刀によって、
機関銃の銃身が真二つに切り裂かれる
のを見ている。」

「1560年代に来日したイエズス会の神父は、
 “日本刀は、ヨーロッパ製の剣や鎧兜をあたかも草を切るように
 真二つに切り裂いてしまう”
 と報告している。」

船に退避していれば武士が夜襲をかけてくる。
そして2-3か月も夏の海にいれば台風だってやってくる。
生き残りが国に帰れば嘘をつく、たまたま台風が来て壊滅しました、お許しを。
それが記録され、史実になりかかった、ということか。

武士が日本を守った。


そんな日本刀や、日本刀から身を守る鎧、兜を模したのが五月人形。
子どもたちに強くあれ、武士のように、大和魂を、と願うのだと思う。

いやいや、大の大人、ニッポンの男どももmy鎧兜を前にして
己でそう願い決意したっていいじゃないか。

参考:
「真実の中国4000年史」杉山徹宗著 洋伝社黄金文庫
「勝者の戦略」杉山撤宗著 光人社
「真実の「日本戦史」」家村和幸 宝島社

20090414_my鎧兜・5月人形.jpg

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