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近代史+ (中国) ブログトップ

チベット鉄道 [近代史+ (中国)]

月の内部は冷えて固まってマグマはない。だから地表は動かない。
水も空気もないから浸食も風化もされず隕石衝突跡のクレーターが残ってる。

地球はまだマグマが流動していて大地を動かす。
今だって地表が動いている。だから地震も起きる。

大地はこれまでもずっと、しかも大きく移動してきた。
これからも移動していく。

650 Million Yeas in 1:20 Min.
(80秒で見る4億年前~現在、そして1億5千万年後の地殻変動):


過去、そして未来の そんな詳しい大陸の移動をどうやって知るのだろうか?


地図を見ると面白い。
南の海にあった今のインドは南から移動し大陸にぶつかった。
ぶつかってもそのまま移動し続けた。
押されて行き場がなくなった地表は盛り上がっていった。
02チベットとウィグル.jpg

その盛上ってできたのがヒマラヤ山脈などで
それら山脈に囲まれた高原がチベット高原だ。
ここにチベット人がいて国家があった。
03チベットの盾.jpg


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南京市との姉妹都市、名古屋市、南京大虐殺に疑問 [近代史+ (中国)]

中共が50億円を投じてつくった旧日本軍による30万人 南京大虐殺記念館がある
そんな施設がある中国の南京市 と日本の名古屋市が 姉妹都市だなんて
知らなかった、あるいは覚えてなかった。

しかし名古屋市長は公の場、市議会で
南京大虐殺には深い疑問がある、という旨を答弁した。

朝日新聞あたりが激怒するかもしれない。

しかしそれでいい、南京大虐殺はなかった。
南京であったのは日中戦争よりはるか前にあった シナ人同士の大虐殺だ。

だいたいシナ人同士で虐殺しまくり数千万人単位で人口減になるのが彼らの歴史だ。
そいつらの人骨があちこちに大量に埋もれている。
シナ人の子供たちがその人骨で遊ぶほどに。

負けるな! 嘘を言うな!
名古屋市長がんばれ。

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産経新聞 2009(平成21)年9月15日

「南京大虐殺」深い疑問
河村・名古屋市長が答弁

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民族性 人はみな同じ じゃない [近代史+ (中国)]

「サイドビジネスで稼いでいる」
と かつての会社の同僚が言っていた。

この男はマレーシアから短期会社勤務をしにきた華僑だった。
つまり中国大陸からマレーシアに渡った漢民族(中国人)。

口数が少なく仕事に不熱心、見た目はまじめそうな男だった。

「おれも そのビジネスをやりたい、何だ?」
と 問うても返事はない。

ある日、奴は会社に出社しなくなった。
窃盗の現行犯で警察に逮捕された。
集団窃盗団のひとりだった。

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香港での激戦 [近代史+ (中国)]

九龍から南へ香港島を眺める。
高層ビル群の広告に中国企業 TCLやHiar、China Mobile、
韓国はLGや Samsungが見え欧州はオランダ企業Philipsも見える。
相変わらず日系企業もがんばっている、Sharp、Toshiba、Panasonic…

かつて日本軍はこの海峡渡って香港島に敵前上陸した。
そしてここから日本軍がキャメロン山に建てた忠霊塔が見えた。
九龍から香港島.jpg

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昭和16年(1941年)12月8日、日本軍は北から英国領へ進撃を開始した。
歩兵228連隊(名古屋)、229連隊(豊橋)、230連隊(静岡)。

草木が切り払われた禿山に鉄条網と30もあるトーチカ
(分厚いコンクリートの天井と壁に射撃するためだけの穴があいた要塞)
を 夜襲と突撃で たった2日で撃破し九龍、香港市街が見渡せる341高地を占拠した。

啓徳飛行場(旧空港)へは 97式戦闘機が低空銃撃で全英軍14機を壊滅。
悪魔山(旧空港から東)へは98式軽爆撃機が急降下爆撃で英軍9.2インチ要塞砲8門の大半を大破、
九龍から海峡を渡って香港へ上陸するまえに。

香港地図1.jpg

人種差別が激しい英軍は日本人を下等で貧弱な人種で簡単に叩き潰せるとなめていた。
近眼で航空機をまともに飛ばせず、夜間攻撃もできず、
砲兵隊も自前で動かせる資質がない、と。

香港島に孤立した英軍(と応援のオーストラリア軍)に二度の降伏勧告をするも彼らは拒否してきた。
そしてその香港島で激戦が始まる。
香港島に敵前上陸した日本軍主力は山岳地帯から南下、英軍13,000主力と交戦。

島の中央の黄泥涌五差路での激戦ではローソン准将の部隊は突撃し玉砕した
…日本軍のような勇敢な勇者もいた…歩兵230連隊(静岡)の死傷者は600。
しかし後に連隊長 東海林大佐は この勇敢な敵将に敬意し 立派な墓標を立て手厚く葬っている。
五差路のすぐ西のニコルソン山でも激戦になり日英両軍の戦死者の大半がこの地であった。

日本軍は黄泥涌五差路を更に南下し南の海に面するレパルス・ベイに達する。
英軍はレパルス・ベイ近くのホテルとその周辺の陣地で頑強に抵抗し激戦は続いた。
しかしホテルは婦女子の避難場所で一般宿泊客含め約300人の非戦闘員がいる。
それを知っていた連隊長 田中大佐はホテルへの砲撃を最後まで許可しなかった。
(後に米軍は日本のほぼ全都市で老人、子供、婦女子らを焼夷弾で皆殺しにしていった。)
しかし東西に分断された英軍は 戦意喪失し無条件降伏をすることになる。

香港島地図2s.jpg
(*1)

日本軍 歩兵約 9,000、しかし砲兵部隊、航空隊、後方支援部隊、海軍を含め40,000以上。
英軍 13,000。
日本軍が勝って当然の結果だった。

日本軍戦死者 683。
英軍戦死者 約1,500、捕虜 10,947。

日本軍は香港島を占領後、キャメロン山(金馬倫山=439m)に忠霊塔
(セメント900トンで高さ80メートル、104万円(現5-10億円相当)を建てた。
しかし今はもうない、日本の敗戦後に戻ってきた英軍がぶっ壊した。

いま香港島の東部、紫港に立派な英軍墓地がある。
慰霊碑には「勇者の名は永遠に」。

日本には靖国神社がある。
護国勇者たちが今もなお日本を守っている。

(参考:「戦跡を歩く」牧野弘道(著) 集英社
*1: 下の地図は この書籍からのもの)

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中国建国の父、毛沢東 (「中国大虐殺史」 石平(著) ビジネス社) [近代史+ (中国)]

中国建国の父、毛沢東
首都北京の天安門広場には毛沢東のデカい写真が掲げられている。

中国国民は学校で、共産主義の素晴らしさと毛沢東の立派さ、恩情の深さを知り
学校や自宅にも毛沢東の写真を飾り、毛沢東語録を壁に貼り
すばらしい国、中国を誇りに思い毛沢東に深く感謝する。

だから毛沢東は中高額紙幣を飾り、中国国民はいつでも毛沢東のそばにいられる。

20100815_02毛沢東.jpg

真実を知らずに。
実際には毛沢東は同胞に対する大量殺戮者であることも知らずに。

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毛沢東は同胞を騙し殺害、権力を握り、
社会の落伍者を使って地主から資産を略奪し虐殺、農民を利用。
嘘を重ねて無実の民を虐殺し続けて権力の頂点に達し、
工業化のための農業政策の失敗で1000万人単位で国民が餓死するのを無視。
文化大革命でも落伍者や学生(紅衛兵)を使って政敵を殺害し
大学教授や医師、技術者など知識人をもみな逮捕、殺害や強制労働に処す。
拷問やリンチ、冤罪で無実の民を殺し続け 反抗勢力になりえる分子を
ことごとく潰し続けた人類史上最大級の大量虐殺者、だ。
 :
共産主義化…赤化と言う。
赤化の邪悪さを知っていたのは日本。朝鮮・満州で赤化を防いでいた。
後に米国は日本が言う赤化の恐ろしさを知ることになる
…米国は日本の代わりに赤化対策、朝鮮戦争を経験することになる。


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赤化:

1921年7月 上海で中国共産党が発足、極悪とされる資本主義社会と対峙する。

「一握りの資本者階級が暴力的な権力装置を使って労働者階級を搾取する。
 こうした理不尽な仕組みを打破し、労働者階級を開放するには、
 まず労働者階級自身が組織化する必要がある。
 そして、暴力を用いて資本主義の「暴力装置」を打ち砕くしかない。」

こうして共産党は暴力を思う存分行使する特権をもち、殺戮の大地に血が流れることになる。


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毛沢東の私利強欲、陰謀と殺戮が始まる:

1921年 中国共産党(中共)が上海で発足。
1924年 中国共産党員が国民党(孫文)の組織に入ることになる(国民党と共産党の協力体制)。
1927年 国民党(孫文死後の蒋介石)は広東省(香港の北)から北へ進軍。

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辛亥革命・中華民国 [近代史+ (中国)]

今年は台湾、中華民国建国 100周年。
しかし それを台湾で祝うのは一部の外省人(支那外陸からの移民)が主か。

辛亥革命(1911-1912) で支那で中華民国が建国。
共産党に追われた蒋介石・国民党が逃げた先が台湾。

ピラニア/シアターTVで高山正之は辛亥革命を「心外革命」と言っている。

詳しくは:
高山正之の異見自在…「辛亥革命」
http://www.theatertv.co.jp/movie/5108
高山正之・異見自在・ピラニアテレビ-1.jpg

抜粋/要約/意訳すると:
---
「辛亥革命」とは清朝が倒れ中華民国が成立した事件。
孫文が時のヒーローで清朝の君主制を共和制が打倒、と言われているが
「革命」と言えるような事件ではなかった。

孫文(1866-1925) 初代中華民国臨時大総統
一般的には辛亥革命を起こした人物として
“中国革命の父”と呼ばれる

支那という国は満州民族の王朝、清王朝の 300年の植民地。
孫文は独立を目指し日清戦争のころに暴動を起こすが失敗、
逆に清朝に追われ逃げ、日露戦争後には日本にも頻繁にきた。
そして孫文は革命の後押しを要求し日本人にたかった。
梅屋庄吉(うめやしょうきち)は今の価値で一兆円以上を融通している。
しかし孫文はこずるい、詐欺師的。

やがて辛亥革命と呼ばれる事件が起きる。
その発端は武昌(ぶしょう)の地。

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辮髪(べんぱつ) [近代史+ (中国)]

北京を歩いていると辮髪をしている床屋を表現した像があった。
頭半分前の髪を全て剃り、半分後ろの髪を伸ばして編んでいる。

20110304_01北京・辮髪像.jpg
20110304_02北京・辮髪像.JPG

シナ大陸北東の満州民族が建国した国、清。
漢民族を支配し辮髪を強制、従わない者は処刑された。
異民族に支配されるということの一例だ。

自存自衛、独立を維持することの尊さがわかる。

やがて辛亥(心外)革命があって満州民族は退き、漢民族が独立する。
追って満州民族の地に日本の支援で満州国ができるが潰されてしまう。
日本が白人の邪悪をもう少し排除できていれば、中国共産党の勢力は今のようではなく、
満州もチベットも南モンゴルもチベットも東トルキスタンも独立していたかもしれない。

そしていま、日本は外国人勢力やなりすまし日本人に政治やマスコミなどを牛耳られている。
独立を破壊する法案を次々に立法化しようとする連中がいる。
そんな危機的な状況を知らず、知ろうともしないのは
「生活が第一」とか言って もっと大切なことを騙されているからかもしれない。

歪曲された歴史を知り、本当の真実の歴史を知る。
すると独立の意味と尊さを知ることになる。

政権交代が必要だと痛切に思うことになる。

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中共の北京、天安門 [近代史+ (中国)]

仕事で北京へいくこともある。
そして街をぶらつける時間があった。
今年3月初旬。

20110515_北京1.jpg

ジャスミン革命の影響か、途中に荷物検査があって天安門へ:
20110304_01北京.jpg
20110304_03北京.jpg

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