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靖国神社 と オーストラリア方面戦没者慰霊碑 [靖国神社]

地下鉄「九段下」駅を出て靖国神社へ向かう途中で
大鳥居の前の通りを隔てた場所に戦没者慰霊碑がある。
オーストラリア方面の戦没者慰霊碑「濠北方面戦没者慰霊碑」。

この慰霊碑周りには松の木の枯葉や土埃、
それにまだ粘度がありそうなガムのようなものが点々としている。
いつまでたってもこの状況は変わらない。
ネットで調べても誰がこの碑を管理しているのかわからない。
昭和39年に建立されたこの石碑。
かつては「濠北方面戦没者慰霊会」の戦友は親族が丁寧に管理していたのだろう。

ほうきと塵取り、トング、ごみ袋を用意した。
靖国神社駐車場に車をとめて清掃をした。
徹底的に清掃することにした。
溝にはまった松の枯葉を掃出すのは容易ではない。
土埃を掃出す、線香の灰を掃出す、ガムは削りとる。
すると 4時間…やれやれ こんな時間がかかるとは思わなかった。
掃除を終え慰霊碑周辺が少しすがすがしくなったように思う。
慰霊にお祈りをした。

20130504_01靖国神社・濠北方面戦没者慰霊碑清掃_320.JPG
20130504_02靖国神社・濠北方面戦没者慰霊碑清掃_320.JPG
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そして靖国神社へ参拝。
平成25年5月4日の靖国神社。

20130504_05靖国神社・濠北方面戦没者慰霊碑清掃_320.JPG

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5月の社頭掲示
http://www.yasukuni.or.jp/history/will_past.php?id=0070

更級横多神社 社頭に於いての出征挨拶

陸軍大尉 望月重信命

昭和十九年五月二十二日
フィリピンにて戦死
長野県更級郡篠ノ井町出身
三十五歳

本朝はかくも早々皆様の熱誠なる御歓送をいただきまして、まことに感謝に堪へません。
私は皆様の御心に報ゆべく、必ず全力を尽して御奉公を致す覚悟であります。
今やこの非常時は、今までの戦争の様に、
単に世界の地図が塗り変へられるといふ丈(だけ)のものではありません。
世界人類の歴史の上に、数百年の大きな時代を画(かく)して、
人類の人生観が、国家観が、世界観が、政治の上にも、教育の上にも、経済の上にも、
芸術の上にも、宗教の上にも、その他一切に大ひなる飛躍をなさむとしてゐるのであります。
新らたなる世界が、我が皇国日本を母体として生れむとしてゐるのであります。
(中略)
戦死すると云ふ事は、人生本来の約束から観れば、それ程驚く可き事でも、
またさして悲しむべき事でもありません。
増してや、天皇の御為にこの一命を捧げます事は、日本男子の本懐であります。
吾等は只、この生れては死に、死んでは生れてゆく悠久なる人生の連鎖に於て、
如何にして永遠の生き甲斐に生き、さうして不滅の死に甲斐に死ぬかと言ふ事であります。
(中略)
私は本日、大命を拝して勇んで戦線にのぞみます。
もとより生還は期して居りません。
然し、私達をして死に甲斐あらしむるか否かは、あとに残られた皆様の責任であります。
今後まだまだ大なる、それこそ非常なる艱難(かんなん)が国家の上に、
皆様の上に、必ず振りかゝって来るでありませう。
その時になって、どの様な苦しい事があっても、皆様は決してへこたれたり、
悲鳴をあげるやうな事があってはなりません。
どうかこの事をこの社前におきまして、くれぐれもお願ひ致しまして出発のご挨拶と致します。
終りにのぞみまして、村内皆様の御健康を祈ります。

終り
昭和十四年五月一日                         

(原文のまま)

20130504_06靖国神社・濠北方面戦没者慰霊碑清掃_320.JPG
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「私達をして死に甲斐あらしむるか否かは、あとに残られた皆様の責任であります。」

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靖国神社:
http://www.yasukuni.or.jp/index.html?mode=skip

靖国神社崇敬奉賛会:
http://www.yasukuni.jp/~sukei/

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