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世界が尊敬した特攻隊 [日本を知る]

戦後67年もの長きにわたって、日本が平和を維持することができたのも、
日本国憲法九条のおかげではないし、日米安保体制のおかげでもなく、
神風特攻隊の脅威が周辺諸国に抑止力となって働いていることにあると思っている。
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世界が尊敬した特攻隊:

人命至上主義に立つアメリカ人から見れば、
悲壮鬼神を泣かせた神風特攻隊の玉砕戦法は余にも意外な戦法であったため、
日本軍の特攻攻撃に苦戦したというのは、記述した通りである。

連合軍は、この特攻戦法が見方の艦船や部隊に物質的な打撃を与えたばかりだけでなく、
将兵の心にも、より深刻な恐怖を与えたことを認めているわけであるが、
一方でキリスト教が自殺を否定しているせいか、中には、
「敗者の自殺戦法である」とか、
「カミカゼは最高の文明の武器をもってする最低の文明の手段であった」
と酷評する者がいることは残念である。

だが、彼らの中にも、次のように、特攻隊員の自己犠牲の中に、
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(「ヨハネ伝」第十五章十三節)
と説いたキリストの教えと同じ価値観を見出して、賞賛の言葉を惜しまない人々がいるのである。

恐らく日本軍は、敵からこんなにも畏敬の念を持たれるとは、夢にも思わなかったに違ない。
神風特攻隊を賞賛した言葉はおびただしいが、その中でも代表的な例をあげてみよう。

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アンドレ・マルロー(フランスの作家、文化大臣):

日本は太平洋戦争で敗れはしたが、そのかおり何ものにもかえ難いものを得た。
それは、世界のどんな国にも真似のできない特別攻撃隊である。
スターリン主義者たちやナチス党員にせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。
日本の特攻隊員たちはファナチックだったろうか。断じて違う。
彼らに権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかった。
祖国を憂える貴い熱情かおるだけだった。
代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さかあり、
逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。
人間はいつでも、偉大さへの志向を失ってはならない。

戦後に、フランスの大臣としてはじめて日本を訪れたとき、
私はそのことをとくに陛下に申し上げておいた。

フランスは、デカルトを生んだ合理主義の国である。
フランス人の中には、特別攻撃隊の出撃数と戦果を比較して、
こんなにすくない撃破数なのになぜ貴いいのちをと、疑問を抱く者もいる。
そういう人たちに私はいつもいってやる。
「母や姉や妻の命が危険にさらされているとき、
 自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。
 愛する者が殺られるのをだまって見すごせるものだろうか?」と。

私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべて乗り越えて、
いさぎよく敵艦に体当たりした特別攻撃隊員の精神と行為の中に、
男の崇高な美学を見るのである。

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ペルナール・ミロー(フランスのジャーナリスト):

日本人の自殺攻撃法が、考え方の上では太平洋戦争中に突然生じたものでなく、
この国の過去にさかのぼって、以前から存在していた考えを
ここで実行に移したものであることは、既述したところであるが、
日本の歴史をひもとくならば、
このような攻撃の発生したことも驚くには足りないことが分かる。

実際、これは十分にあり得ると予測できたできごとである。
英雄的行為の先例が、後世の日本人に与えた影響はきわめて大きいが、
また日本人の気質としてそういったものに特に深く感動しやすかった。

日本の軍隊の長い歴史には、そのような英雄的行動や、
従容として自己犠牲の途を選んだ実例が、目白おしにひしめいているのである。
戦時中の日本人はそれらの先例に考えを借り、論理的に、
そして自然にその道へと歩んだのであった。

今日の日本人の気質は非常に変わってしまい、かつて鼓吹されていた宗教的な、
あるいは祖国愛的な感情といったものをすっかり忘れはてているかのように我々は思うけれども、
なおかつての日本人のこの勇気と犠牲的精神は、尊敬をもってそれを
是認しないわけにはいかないものがある。

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リチヤード・オネール(英国のジャーナリスト):

本書においては、主として第二次大戦における神風特攻機を始めとする
日本陸海軍の各種の特別攻撃作戦を中心に著述したが、これがどのような思想的背景を持ち、
どのようにして生まれてきたかについても述べねばならない。

最も簡明で、かつ一般化された背景は、日本文化の発達、特に武士道に見ることができる。
武士道とは、侍の振舞を統制する武士団の行動様式として発達してきた武士の道徳である。

しかし、武士道は封建時代には一部特権階級の道徳にすぎず、
二十世紀に行われた日本の特攻攻撃との関係を考えるには、時代の相違だけでなく、
古典的な武士道と二十世紀のそれとがどう変わっているかを考察する必要があるだろう。

全ての日本人は、若い特から、「国体」を護持するために全力をつくすよう教えられて育った。
「国体」とは国の政治体制のことで、
天皇制やその他の日本を独特な国家たらしめている諸伝統が要素となっている。
そして日本人が神風を始めとする特攻隊に参加したのは、国体を護持するために、
一身を犠牲にしても良いとの考え方から発したものであり、
彼等を勇気づけたものは、日本の武士道の伝統であった。

全国民のすべての人に、一身を犠牲にする武士道の精神を持つよう
呼び掛けることができたのは日本だけであったろう。

このことは、第二次大戦の末期における、日本の特攻作戦による勇猛な反撃をうみ、
また敗戦に際しては、民族的な誇りを失うことなく、
また戦後の日本の偉大なる復興の原動力となった、と筆者は信じているのである。

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A・J・バーカー陸軍大佐(英国の戦史家):

“バンザイ突撃”は、ムダな努力であったといわれているが、
敗北に追いつめられた日本車にとっては、
絶望の窮地から脱出する唯一の試みであったことは否定できない。

また航空特攻も、日本軍の敗北がもたらした産物であった。
連合軍では、このような攻撃を非人道的、狂信的としながらも、
神風特別攻撃隊員たちにたいしては、尊敬をはらっているのである。
それはおそらく、かれらが特攻攻撃で手いたい打撃をうけたためであろう。
だが「回天特攻隊」のばあいには、連合軍にあたえた打撃の程度は
わずかであったにもかかわらず、同様の尊敬をかちえているのである。

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バリー・ピット(英国の戦史・軍事評論家):

日本軍の神風特攻精神を狂信的だといって非難することは簡単だが、
この考え方は、いささか独断的すぎるのではなかろうか。

特攻機や「桜花」爆弾に搭乗して連合軍艦船の甲板めざしてとびこんでいった
日本の”右鷲”たちは、その目的の正しさを信ずるがゆえにとびこんだのであり、
その目的をすこしでも達成することをねがったがゆえにこそ、
よろこんで生命をささけようとしたのである。

軍人としての義務をまっとうするため、勇敢に、おのが生命を捨ててかえりみない、
尽忠至誠の発露でなくて、なんであろう。

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マルコム・マックガバン(米海軍大尉):

我々の空母の飛行甲板を貫いたこの男は、私より立派だ。
私には、とうていこのようなことはできない。

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ジョン・トーランド(米国のノンフィクション作家):

「われわれ西側の物の考え方とはこんなにも異質な光景には
 何か催眠術にでもかかったような恍惚感がありました」
と、C・R・ブラウン海軍少将は述べている。

…このほとんど病的な恍惚感から、いろいろな説やうわさが生まれた。
「沖縄」のパイロットは、僧侶のような頭巾のついたころもを着て戦場にむかうのだとか、
麻薬を使われているのだとか、操縦室に鎖でつながれているのだとか、
年少のころから自殺のため訓練を受けたエリート・グループだとかいうものだった。

だが、実際は、彼らはごく普通の日本の若者で、志願して特攻隊に入ったのだった。
彼らの目的は、意義のある死に方をすることであった。

特攻方式が、アメリカに比べて劣勢な日本の生産性を克服するための最善の道であると、
彼らは確信していた。
たった一人で、空母や戦艦を撃沈もしくは撃破することができ、
千人の敵を道連れにすることができるのである。

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ダニエル・H・ディソン(フィリピン神風戦没者協会設立者):

私たちは、彼らの偉業を引き継いでいかなければならないと思います。
戦争のためではなく、忠誠心、愛国心、祖国への愛のためです。
東洋、いや全世界の人々が、この神風特攻隊の話から何か大きなことを学べると思います。

神風特攻隊の隊員は、全世界そして次世代の全人類のために、
彼らの人生を記録として残してくれたのです。
彼らは自分の命を生きている偉業としてささけ、
人間はどこまで自国を愛することができるか、ということを提示してくれました。

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スイス紙『トリビューン・ジュネーブ』(昭和二十年七月九日付):

戦争では殺されずに人を殺すといふことが常識だが、
死を覚悟、死を喜ぶことが最大の効果を発揮することがある。

破壊せんとする目標物に時速千キロの速度で突入する操縦士は危険この上もない、
しかし尊敬すべき敵だ。

Kamikaze Attacks:
http://www.youtube.com/watch?v=33dh14dJ_Dw


「世界が語る神風特別攻撃隊-カミカゼはなぜ世界で尊敬されるのか」 吉本貞昭(著) ハート出版



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