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靖国神社 と 強かった旧日本空軍 [靖国神社]

9月初旬はまだ暑い夏の日々。
靖国神社へ。

濠北方面戦没者慰霊碑:
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:魂

参考:
濠北方面戦没者慰霊碑:
http://devlin.blog.so-net.ne.jp/2010-04-12


慰霊碑から道路を渡って神社へ:
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:第一鳥居(大鳥居)奉納
「大正10年(1921)、日本一の大鳥居として誕生した第一鳥居は、
 「空をつくよな大鳥居」と歌われて親しまれていましたが、
 長年の風雨で損傷がはげしくなり、昭和18年(1943)に撤去されました。
 現在の第一鳥居は戦友たちの奉納により
 昭和49年(1974)に再建されたもので、高さは25mあります。」
 (http://www.yasukuni.or.jp/precincts/index.html)

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奥へ進んで土俵があって相撲の試合(大学対抗)をやっていた:
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パール判事:
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遊就館前にて:
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http://www.yasukuni.or.jp/history/will.php
社頭掲示(平成23年9月)

遺書

陸軍曹長
中西八郎 命

昭和十八年九月十四日
東部ニューギニア ラエ付近にて戦死
三重県度会郡城田村出身 二十三歳

兄ハ此ノ度(たび)、大東亜戦争ノ第一線ニ参加スルノ光栄ニ浴(よく)シ、
勇躍(ゆうやく)征途(せいと)ニ就ク。

固(もと)ヨリ毫(ごう)モ生還ハ期セズ。

吾無キ後ハ、我ニ代リ我々ノ養育ニ終生ヲ捧ゲシ
御両親様ニ、十分ナル孝養ヲ尽サレンコトヲ望ム。

兄戦死スト雖(いえど)モ、決シテく歎(なげ)クコトアルベカラズ。

益々勇気百倍兄弟力ヲ合セ、家名ノ隆昌(りゅうしょう)昂揚(こうよう)ニ勉(つと)ムベシ。
兄ハ、オ前達一同ノ健康ヲ祈ルヤ切ナリ。

昭和十八年六月二十四日

兄ヨリ
弟妹一同ヘ

(原文のまま)

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:命懸けで国を守るために戦った全ての将兵に感謝。

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太平洋戦争は無謀な戦争だった、という連中がいるが嘘だ。
日露戦争を無謀な戦争だった、と言う連中はいない。

戦争準備を周到に準備していたアメリカ。
しかし、いつまでも戦争回避の努力をし続けてきた日本。
だから準備不足過ぎたし、指導者たちのまとまりもなかった、
明治維新後の科挙制度採用で指導者に国士のばらつきができてしまった。

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週間新潮(‘11.7.7)、変見自在「インドは世界一」に
日本空軍のすごさを高山正之が書いていた。
 :
 :
日本は結構、空の世界記録を持っている。

古くは第1次大戦の青島攻略戦の折、
膠州湾を遊弋するドイツの軍艦に世界で初めて空爆を仕掛けた。
尤も操縦席から擲弾をぽいと投げるという素朴な爆撃だったが。

この実績があったから先の戦争の劈頭、マレー沖で
英戦艦プリンス・オブ・ウェールズを沈められた。
同艦は世界で初めて航空機攻撃によって沈められた装甲戦艦として
戦史にその名をとどめている。

日本は米国にも不名誉な記録をつくってやった。
プリンス・オブ・ウェールズが不沈況艦を名乗ったように
米の4発爆撃機B17は高い運動性能とハリネズミのように装備した対空機関銃で、
絶対に落とされない爆撃機を豪語していた。
事実、後の欧州戦線では迎撃するドイツ機を逆にかなり撃墜している。
「空飛ふ要塞」の名は決して伊達じやあなかった。

プリンス・オブ・ウェールズが沈められた翌日、
そのB17がフィリピン上空でゼロ戦と遭遇した。
彼らは日本にはまともな戦闘機は作れないし、乗員も
「おんぶで育てられ、頭を揺すられた結果、三半規管に異常をきたし、
さらに近眼で鳥目だからまともな急降下もできない」
(軍事評論家F・プラット)と信じこんでいた。

しかし彼らが気付いたとき機体は炎に包まれ、
B17が初めて戦闘機の餌食になったことを知った。
米国はショックを受けたが、半分はまぐれと思っていた。

ところがその半年後、ニューギュア・ブナ上空で
5機編隊のB17と9機のゼロ戦がふつかった。
坂井三郎も加わったゼロ戦隊は敵機の真正面に突っ込んで行って
20ミリ弾を叩きこんだ。
弾の速度に機速も加わって凄まじい破壊力が生まれ、
5機のB17は全機撃墜された。
B17神話が砕け散った瞬間だった。

ノモンハンでは日本側はソ速機1673機を撃墜した。
短期間の航空戦での撃墜数としてはこれも世界的な記録になる。

日本は最長飛行記録も待っていた。
最初は昭和13年、東大の航研機が1万1600キロの世界記録を出した。
イタリア機が翌年1000キロほど記録を更新すると日本は昭和19年、
設計のA26が満州新京-白城子の周回コースで1万6435キロの記録を打ち立てた。
これは束京からニユーヨーク経由ロンドンまでの距離に相当する。
戦時中だったため未公認だが、ギネス航空記録には登録されている。
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日本将兵は残虐行為をしたという旨の嘘を言う連中を
高山正之は徹底的にこきおろしている。
真実を追求し、嘘を見抜き真実を公にしている。
嘘にこきおろされた連中は高山正之を訴えない、訴えられない。
裁判になれば、嘘がばれる。
裁判官を買収しないと手も足もでない…しかしここは日本。

真実にまさるものはない。



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