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国歌 君が代とは [近代史+ (日本)]

君が代は 今から 1000年以上も前に読まれ、
日本人にずっと読まれ続けてきた。

平安時代、延喜5年(905年)に完成した「古今和歌集」。
その巻7に「賀歌(がうた)」=「長寿を祈る歌」に紹介されたのが始まり。
誰が読んだのか(つくったのか)は知らず(不明)、題名もない歌:

「わが君は、
 千代にましませ
 さざれ石の
 いはほとなりて
 苔のむすまで」

この歌は 近しい人などへの想いの歌、神社の祭りでの歌、
お祝い事での歌などとして伝わり日本全土に普及していった。
『新撰和歌集』や『和漢朗詠集』にも掲載され読み継がれてきた。

そして1000年の時を超え、明治維新を経て国歌、「君が代」が選ばれた。

君が代:

「君が代は
 千代に八千代に
 さざれ石の
 巌となりて
 苔のむすまで」

意味は、

「私の敬愛する人よ、
 千年も八千年も、
 小さな石が巨岩となって、
 さらにその表面を
 苔が覆うようになるまでの永い歳月を、
 どうか息災でいて下さい」

長い年月を言う「千代」に「八千代」が続き、果てしなく長い年月を表現している。
小さな石、さざれ石が、寄り添って大きな岩になるほどに長い年月を表現している。
その岩にきれいな苔が覆うようになるほどの長い年月を表現している。
絆と平和、自然、緑との調和、清らかさを願う祈りが伝わってくる。

さざれ石=細石=小石。
大きな岩石ひとつがバラバラになるのではない、真逆。
小さな石が寄り集まって、一つの大きな岩石、巌(いわお)になる、長い時間をかけて。
地中に埋まったさ さざれ石、そこに雨水で石灰岩から溶け出した粘着成分を含んだ水分が流れる。
やがて地殻変動で隆起し山になり雨が川になり流れる水でやがて現れるのが巌なのだろう。
長い時間を表現するのに「さざれ石の巌となりて」とした 1000年前の日本人。
それは いとおしい人に 子供や孫、多くの人が集い、強い絆を、和を願い祈った、
その思いが「さざれ石の巌となりて」 なのだと思う。
 参考:
 さざれ石
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%81%96%E3%82%8C%E7%9F%B3

日本の川は大陸の大河のように ゆっくりと流れ濁り淀んだ川ではない。
雨は山に降り、森林が豊富に水をたたえ水をろ過し
高低差の大きい山の川は透明で澄んでいる清流になる。
川岸から見てさえも透き通って川底まで見えるほどの清流に現れた巌。
緑豊かな神聖な気配に長い時間をかけ巌への美しい明るい緑の苔(こけ)が連想できる。
長い時間を表現するのに「苔のむすまで」としたのは
日本らしい気候、国土に神聖さ、森の緑の清らかさを表現したかったのだろう。

すばらしい日本の国歌。

君が代が国歌になっても それは近しい人への歌といえる。
しかし”大君 (天皇陛下)の代” でなく “君が代” だとしても、
その “君”とは 天皇陛下 がふさわしい。
世界一長い歴史を誇る日本が存続している要にある皇室。
天皇陛下の尊さを知るならば、真実の歴史を知るならば
それは天皇陛下がふさわしい。

天皇陛下に日本国民ひとりひとりが集まり
絆で和を、平和を維持し
清らかで緑豊かな日本を
果てなく大切にしていく歌。

君が代:
http://www.youtube.com/watch?v=GtDc8NGKYvs


ところがサヨク日教組に牛耳られた学校では君が代をクサす。
差別だ、とかいって教員資格、教員権利拡大で教育界に侵略した
日本人通名をつかったなりすまし日本人教師が君が代をクサす。

そしてサヨクと在日外国人に牛耳られた朝日新聞なども国歌をケナす。
反日サヨクなりすまし日本人は 1000年以上も前の歌、君が代を
天皇賛美だ、天皇崇拝の歌だ、天皇支配だ、現人神だ、軍国主義だ、戦争だ
等々と戦争と天皇陛下を結び付け国歌をケナす。

知らなければならない真実。
君が代。
大人が、親が知り、子供に伝える。

学校での入学式や卒業式などでは国旗、国家に敬意を表し起立し、
日本を誇りに思い、君が代を堂々と歌う。
常識だ。

---
平和な日本の国歌に対して
軍国主義的な国歌とは:


中国国歌:

「義勇軍行進曲」
起て!奴隷となることを望まぬ人びとよ!
我らが血肉で築こう新たな長城を!
中華民族に最大の危機せまる、
一人びとりが最後の雄叫びをあげる時だ。
起て!起て!起て!
もろびと心を一つに、
敵の砲火をついて進め!
敵の砲火をついて進め!
進め!進め!進め!


韓国国歌:

東海(日本海)が乾き果て
白頭山が磨り減る時まで
神の護り給う我が国 万歳
むくげの花(=韓国の国花)三千里
華麗な山河 大韓人よ
大韓を永久ならしめよ
南山の老松 鉄の鎧をまとい
風霜の変わらざるは 我等の気性なり
広い秋の空 雲ひとつなく澄み渡り
輝く月は我等の精神
一片丹心(誠実な心)なり
この気性とこの心で忠誠を尽くさん
辛くとも 楽しくとも 国を愛さん


フランス国歌:

祖国の子供達よ、栄光の日がやってきた!
我らに向かって、暴君の血塗られた軍旗が掲げられた。
血塗られた軍旗が掲げられた。
どう猛な兵士たちが、野原でうごめいているのが聞こえるか?
子どもや妻たちの首をかっ切るために、
やつらは我々の元へやって来ているのだ!
武器をとれ、市民達よ。
自らの軍を組織せよ。
前進しよう、前進しよう!
我らの田畑に、汚れた血を飲み込ませてやるために!

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国歌斉唱起立条例成立、当然だ。


http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110530/trl11053017440005-n1.htm

「国際常識を身につけるため、国旗、国歌に敬意を」 国歌斉唱時の起立命令は合憲 最高裁が初判断
2011.5.30 17:42

卒業式の国歌斉唱で起立しなかったことを理由に、
退職後に嘱託教員として雇用しなかったのは違法として、
東京都立高の元教諭が都に損害賠償などを求めた訴訟の上告審判決で、
最高裁第2小法廷(須藤正彦裁判長)は30日、起立を命じた校長の職務命令を合憲と判断し、
元教諭側の上告を棄却した。
都に賠償を命じた1審判決を取り消し、元教諭側の逆転敗訴となった2審判決が確定した。

最高裁は平成19年2月、国歌伴奏を命じた職務命令を合憲と初判断したが、
国歌斉唱の起立命令に対する合憲判断は初めて。

1、2審判決などによると、元教諭は16年3月の都立高の卒業式で起立せず、
東京都教育委員会から戒告処分を受けた。
19年3月の退職前に再雇用を求めたが、不合格とされた。

同小法廷は判決理由で、卒業式などでの国歌斉唱の起立は「慣例上の儀礼的な所作」と定義。
起立を命じた職務命令について
「個人の歴史観や世界観を否定しない。
特定の思想の強制や禁止、告白の強要ともいえず、
思想、良心を直ちに制約するものとは認められない」
と指摘した。

その上で、
「『日の丸』や『君が代』が戦前の軍国主義との関係で
一定の役割を果たしたとする教育上の信念を持つ者にとっては、
思想、良心の自由が間接的に制約される面はあるが、
教育上の行事にふさわしい秩序を確保するためには合理的だ」
との判断を示した。

判決は4人の裁判官の全員一致の意見で、うち3人が補足意見を付けた。
竹内行夫裁判官は
「他国の国旗、国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、
 まず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」
とした。

1審東京地裁判決は21年1月、職務命令の違憲性を否定したが、
「起立しなかったのは1回だけで不採用は裁量権の乱用にあたる」
として都に約210万円の賠償を命じた。
2審東京高裁は同年10月、職務命令の合憲性を認め、
命令がある以上、元教諭は従う職務上の義務があるとして、
1審判決を取り消し、逆転判決を言い渡した。




http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110601/trl11060102520000-n1.htm

国歌起立判決 「合憲」機に指導の徹底を
2011.6.1 02:52

卒業式の国歌斉唱の際、東京都教育委員会の通達に基づき
教職員に起立斉唱を命じた校長の職務命令について、
最高裁が「思想、良心を直ちに制約するものではない」などとし、合憲の初判断を示した。

同様の訴訟は各地の裁判所で争われているが、最高裁判決として決着した意義は大きい。
教育現場の正常化の大きな一歩と評価したい。

提訴したのは都立高校の元教諭で、平成16年春の卒業式に起立しなかったため戒告処分を受けた。
これがもとで退職後の再雇用が認められず、都に損害賠償を求めていた。

都教委は15年秋から、教職員に対し、
卒業式や入学式の国歌斉唱で国旗に向かって起立して斉唱するよう通達し、校長が職務命令を出している。
しかし従わずに懲戒処分などを受け、処分取り消しなどを求める訴訟が20件以上、係争中だという。

不起立の教師側は「思想、良心の自由を保障した憲法19条に反する」などと主張している。
これに対し19年、国歌斉唱のピアノ伴奏を命じた校長の職務命令を合憲とする最高裁判決が出ていた。
今回は起立命令についても、合憲と判断された。

節目となる行事の国歌斉唱で、教師が座ったままの光景は保護者や生徒にどう映るか。
こうした教師の行為は個人の政治的主張や感情を生徒らに押しつけるもので、教育の場では許されない。

今回の判決では、
「国旗・国歌が強制的にではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要」
という補足意見もあった。
だが自然に敬うことを妨げる教師がいるからこそ、職務命令は出されている。
補足意見を盾に「強制はいけない」と主張するなら筋違いだ。

学校現場ではこれまでにも、国旗掲揚や国歌斉唱に反対する一部教師に対し、校長らが苦労を重ねてきた。
11年には広島県の校長が自殺する痛ましい事件が起き、これを契機に「国旗国歌法」が制定された。

大阪府では、国歌斉唱で教職員の起立を求める条例案も府議会で提案されている。
国旗、国歌に敬意を払う国際的な礼儀を守らず、「憲法違反」だと言いつのる教師こそ問題なのである。
教委は「合憲」判決を機に、改めて指導を徹底してもらいたい。




http://sankei.jp.msn.com/life/news/110605/edc11060502530000-n1.htm

起立条例成立 教委も毅然たる指導せよ
2011.6.5 02:53

卒業、入学式などの国歌斉唱時に教職員に起立斉唱を義務付けた
大阪府の条例が府議会で可決され、成立した。

国旗、国歌に敬意を払うあたり前のことが教育の場で守られていなかった。
全国でも初めての府条例制定を機に、教育委員会も毅然(きぜん)とした指導を徹底してもらいたい。

条例は次代を担う子供が伝統を尊重し、国と郷土を愛する意識を高めることを目的に掲げた。
国歌斉唱時の起立のほか、学校などの府施設では国旗を常時掲揚することも義務付けられた。

橋下徹府知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」が条例案を提出した際、
「強制の必要があるのか」との批判も根強かった。
指導する側の府教委の教育長までが「条例による義務付けは必要ない」などと府議会で答弁した。

だが、教委の指導や処分が厳正に行われず、結果的に不起立を放置、
容認する実態があったからこそ、条例が必要となったのだ。

東京都教委は起立斉唱の通達と校長の職務命令を出し、従わない教師らを厳しく処分している。
大阪府教委は昨春、ようやく起立を拒む教師の懲戒処分に踏み切ったものの、
昨春、今春ともに数人が処分されただけだった。

問題が少ないわけではない。
今春の府立高校入学式で不起立教師がいたのは全体の2割近い27校計38人にのぼった。
職務命令が出ていないために処分を免れた例も多く、校長が「見て見ぬふり」をするケースもあるようだ。

3年前には、門真市の中学校卒業式で式の前に一部教師が「自分は起立しない」などと伝え、
卒業生も国歌斉唱時に起立しなかった問題が起きている。
国旗、国歌の大切さを教える限られた機会に教師が背を向けるようでは、
国旗、国歌を自然に尊重する態度をはぐくむことはできまい。

橋下知事が「国旗、国歌を否定するなら公務員をやめればいい」と厳しく指摘したのは当然だ。
ましてや、公教育を担う教師が自らの政治的主張を子供に押しつけるようなことは許されない。

学校現場では、今も国旗、国歌の指導に反対する人々との板挟みで苦労している校長らが少なくない。
条例制定で正しい指導がしやすくなるはずだ。

祝日に家庭で国旗を掲げる伝統も薄れがちだ。普段から国旗や国歌を敬う教育を心掛けたい。


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コメント 2

yukikaze

最高裁の判断、当然の判断だったと思います。
by yukikaze (2011-06-07 13:33) 

genn

yukikazeさん、

まともな裁判官でよかったです。

by genn (2011-06-12 22:01) 

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