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中共の北京、天安門 [近代史+ (中国)]

仕事で北京へいくこともある。
そして街をぶらつける時間があった。
今年3月初旬。

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ジャスミン革命の影響か、途中に荷物検査があって天安門へ:
20110304_01北京.jpg
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毛沢東のデカい写真:
20110304_04北京.jpg

手のひらサイズの「毛主席語録」が記された赤い手帳がいま流行ってたりするらしい:
毛主席語録s.jpg
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Red_Guards.jpg)

それに高額紙幣にも毛沢東が君臨している:
20100211_03中共Money.jpg
参考:台湾・中国の貨幣:http://devlin.blog.so-net.ne.jp/2010-02-13

同胞を 騙し、裏切り、利用し、拷問し、虐殺し
文化大革命で数千万人の人民を死へ追いやった毛沢東。
そんなおぞましい悪党が中共の赤いヒーロー。
一党独裁国家、赤い国、中共。

参考:
 中国建国の父、毛沢東(「中国大虐殺史」石平(著) ビジネス社)
 http://devlin.blog.so-net.ne.jp/2010-08-16

一方でいま民主国家日本はサヨク政権がはびこり
小沢一郎をはじめ民主党などサヨク臭議員が中国に媚びを売り犬となっている。

そしてかつての日本国の指導者たちは
「A級戦犯」のレッテルを未だに貼られ名誉は汚されたまま。
国民は騙されたまま。

東から西へ天安門へ歩く:
20110515_北京2.jpg

天安門前から西の写真:
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:人民大会堂

南へ天安門広場、人民英雄碑が見える:
20110304_07北京.jpg

この天安広場で民主化運動があり、
人民解放軍は銃を人民へ乱射し時速80キロの戦車で自転車ごと人民をつぶしてミンチにした。
そして人民が天安門事件で知ったのは奴らは人民虐殺軍だったということだ。
しかし言論の自由がない独裁国家中共ではもう何も言えない。

中国国家博物館:
20110304_08北京.jpg

110年前、天安門広場からこのあたりには各国大使館があった。
イギリス、ロシア、オランダ、アメリカ、スペイン、ドイツ、フランス、オーストリア、ベルギー、イタリア、そして日本。
当時の国名は「清」。

ここに外国人排斥団体、義和団(団員=20万人)が襲撃してきた。
西洋宣教師200人以上、子供約50人、中国人キリスト教徒2万人が殺害された。
しかも清国政府は義和団側についた。

そこへイギリス兵5800、アメリカ兵4000、ロシア兵8000、フランス兵2000、
ドイツ兵450、イタリア兵100、オーストリア兵150、そして日本兵13000の連合軍が編成。
そして日本兵は最も勇敢に立ち向かい北京城を攻めた。
「外国兵の傷はほとんど背部にあり、逃げながら撃たれたものだったが、
 日本兵の傷はみな前から撃たれたものだった」

大使館側、北京籠城で活躍したのも日本軍、それを指揮したのが柴五郎中佐(後に大将)。
優れた指揮官であり自ら抜刀し敵陣に切り込む勇猛な柴五郎。
しかも全籠城者3000人ほどの食糧分配、病傷者看護などの配慮もすばらしい。
これがやがてイギリスへ伝わり日英同盟への後押しになっていった。

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天安門のトンネルを抜けていく:
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右から左へ:
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もう一つ門を通る:
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右から左へ:
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ジャスミン革命があったって
中共は Facebookも Twitterも制限されている。
ネットは監視されている。
それでもポーズとして警戒を強化しているのかもしれない。
しかし、だとしても人民を車で引き倒そうとしてもいい理由にはならない:
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タコ野郎だ。

更に先にいくと故宮博物館の門の前:
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左から右へ:
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博物館は午後4時で閉門とあった…残念。

城壁沿いを右、東へ:
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国旗が捨てられていた、しかも見えただけで 3旗:
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国旗と同じくトウモロコシのカスやビニール等などゴミが散乱していた:
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北京城を抜けて直ぐの街並み:
20110304_34北京.JPG.JPG

ところどころに街内部への通路があって
外からのぞくと どこも古くさく汚れ、壁は凸凹、
ガラスが割れて暗いなど不気味な雰囲気を醸していた。
(連れがいて内部へ進出はできず):
20110304_35北京.JPG.JPG

もう少し歩くと高級車やデパート、立派なホテルが立ち並び
夜になると 毎日がクリスマスか というほどにビルに電飾がうざい。
過激に電力を使いまくっている。

ほんの数年前、5-6年前だったか、までは電力不足で
上海の街ではデパートのエスカレーター下りは停止、
夜も電飾などせず暗かったのを覚えている。
今の震災後の日本のように。

そして市民運動家 兼 総理大臣、菅直人は浜岡原発を止めやがった。
思いつきで “無計画”に 己の延命の為に原発停止を利用した。
そうやって日本経済、日系企業、日本人は経済、国力の低下に追従させられていく。
中共がニヤついている。

参考:
 ねずきちの ひとりごと
 市民運動家の居直り…国史上最低最悪の菅内閣は即刻退陣せよ
 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1246.html

冗談じゃないぜ、ったく。

20110304_36北京.JPG.JPG
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参考:
 「近現代史集中講座」黄文雄(著) 徳間書店
 「歴史街道」(May 2010 5号)
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