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大東亜戦争の真実 [転載案内]

大東亜戦争の真実:
http://www.youtube.com/watch?v=UdpaTT5EYI0


【植民地時代の白人の有色人種観】
イギリス人は大の用を足している最中に黄色人種が入ってきても平気
落としたタバコを拾わせるにも、言葉を使わず、アゴで拾えの合図
白人女性が全裸で部屋に居る時に、黄色人種が入ってきても平気
(白人男性が入ってきたら大騒ぎ)
参考文献
『アーロン捕虜収容所』
会田雄次(著) 中公新書

つまり、黄色人種は猿だった。
インドより東の国では、白人は何をしても許されると言う考えがあった。
絶対的な差別主義。東洋人は人では無かった。

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白人帝国主義の東南アジアでの侵略行為
(代表的なもののみを抜粋)

1 略奪と搾取
高知の多くで輸出用作物の栽培を強制し、莫大な利益を得た。
白人の資本投下によるプランテーションで行われたが、
無料に近い土地で低廉な労働力を使い、莫大な利益をあげた。

2 貧困と飢餓
1のような政策の結果、水田等が減少し、飢餓の際に犠牲者が多数出た。
ジャワでは人口33万の町が12万に減少、
1877年の南インドの飢餓では5百万人が死亡し、
1943年の犠牲者はベンガルだけで340万人に達した。

3 複合民族化
大量の移民政策を行い、上部に白人支配層が、
次に架橋やインド人などの外来アジア人が、
最も人口の多い現地民が最下層の地位におかれるという階層社会を造った。

4 弾圧と虐殺
列強は植民地支配への反乱については、きびしい弾圧と虐殺でのぞんだ。
イギリスは、1857年に起こったセポイの反乱に徹底的な弾圧を加えた。

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当時のイギリスの『タイムズ』紙は
「キリスト協会の破壊1に対し100のヒンドゥー寺院をたたきこわせ。
 白人殺害1に対し、老若男女を問わず1000人の暴徒を死刑にせよ」
と報復を訴えた。
事実、イギリスは、みせしめのための捕虜の集団銃撃や焼き殺しなどを行った。

フランスのベトナム支配は、監獄をつくることから始まるといわれた。
1940年のメコン河流域の住民蜂起では、6000人のベトナム人が逮捕され、
サイゴンの監獄は満員となり多くの囚人が死亡した。

1945年、ホー・チ・ミン国家主席が読み上げた独立宣言にその怒りが込められている。
「…彼らは学校より多くの監獄を建て、
容赦なく愛国者を殺害し、蜂起を地の川に溺れさせた。…」

フィリピンに戦争を仕掛けて8万人の陸軍部隊を送り込み、全域を制圧したアメリカは、
1906年、アメリカ式の土地制度などに反発したイスラム系住民の反乱の時は、
米軍は彼らの砦を包囲し、戦闘員を女子供を含めて6百人全員を皆殺しにした。

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5 愚民化政策
宗主国の利害と安全に関係ない限り、人民を出来るだけ文盲のまま放任した。
また、集会や団体行動に制限を加え、従わない場合は反乱罪で逮捕。
地方言語をまとめて標準語を作ることも禁止した。

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フランス革命以降、自由、平等、博愛等を揚げ、
人権意識の発達をリードしてきたとされる欧米諸国だが、
彼らの言う人権とは白人固有のものであり、有色人種に対しては
それらを認める気は全く無かった。

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第一次世界大戦後のベルサイユ講和会議で国際連盟の設立が討議されたが、
その際、大日本帝国は連盟規約に「人種平等」を入れることを提案した。
しかし、これは議長であるウィルソン米国大統領によって強引に否決されてしまった。

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有色人種の国家として、唯一欧米と対等に渡り合っていた大日本帝国は、
明治維新以降、国際法上、合法的な手段で新たな領土をいくつか加えていたが、
そこで行われた統治は、欧米の植民地経営とは対照的なものだった。

台湾 (下関条約により清から割譲)
朝鮮 (大韓帝国の要請により併合)
南洋諸島 (国連承認の信託統治)

大日本帝国は、たとえ外地であっても、
住民が現地において日本人と同等の権利を享受出来るよう、同化政策を行い、
工場や発電所等を作り、インフラを整え、雇用の創出に努めた。
また、衛生環境の改善にも力を注ぎ、子供達には公教育を受けさせ、
住民の平均寿命や識字率を劇的に向上させている。

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「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、
 抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例を
 ひとつくらい見るべきだ。
 そして日本人は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく
 運命づけられているかに見える」
ビルマ外装 ウー・ヌー
1943年8月1日独立時の演説より

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ABCD包囲網で海外資源の輸入を絶たれ、
日米交渉で日本側の譲歩案をことごとく蹴られた上に、
アメリカへの属国化を意味するハルノートを突きつけられた大日本帝国は、
ついに欧米列強との海戦を御前会議で決定する。

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「ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って
 ついに米国を日本との戦争に巻き込むことに成功した。
 そのことは、米国を欧州における戦争に参戦させるという
 彼の最終的な目的を達成させた」
アメリカ 政治家 ハミルトン・フィッシュ
著書『Tragic Deception』より

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(1995年にフィリピン、マニラ市内に貼られたフィリピン共和国独立記念日のポスター
<には 旭日旗が描かれていた>)

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「約50年前ビルマは3回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、
 英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり
 …(中略)…
 ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが
 遂にこれを大日本帝国に発見せり
 日本の戦争責任を問うならば、それより以前、
 非人間的な支配と収奪をつづけた欧米の宗主国の責任はどうなるのか。
 日本が来たことで植民地支配から解放され近代化がもたされた」
マレーシア4代目首相 マハティール・ビン・モハマド
1992年 香港の「ワールド エコノミック フォーラムにて
(『罠に嵌った日本史』 黄文雄(著) 日本文芸社より)

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インドネシア独立記念日では、インドネシアの服装の男女2名に
日本兵の服装をした1名を加えて3名で、国旗を掲揚する。
(インドネシア中学3年生の歴史教科書より)

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「大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の特徴の一つは、
 各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起した点にある。
 その遺産は戦後も様々な形で生き続けている」
 日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味を持っていた
 …(中略)…
 民族主義者は、日本占領期間中に(日本軍により)身につけた
 自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地復帰に対抗した
 …(中略)…
 東南アジアの人間は今や武器を手にし、
 訓練を積んでおり、政治力、組織力を身につけ、
 独立を求める牢固たる意志に支えられていた」
アメリカ コロラド大学歴史学部教授
ジョイス・C・レブラ女史
著書「東南アジアの開放と日本の遺産」 秀英書房より

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「あの戦争によって、世界のいたるところで植民地支配が打破されました。
 そしてこれは、日本が勇戦してくれたお蔭です。
 新しい独立国が、多くの火の中から不死鳥のように姿を現しました。
 誰に感謝を捧げるべきかは、あまりにも明白です」
タイ王国元副首相、元外相 タナット・コーマン
(航空自衛隊連合幹部会機関紙「翼」平成7年新秋号)より

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(デリー市内に立つインド独立の志士チャンドラ・ボースの像。
左後ろにいる鉄兜を被った兵士2人は日本兵。)

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「東京裁判は、21世紀に入れば必ず多くの亜細亜の国々によって見直されるであろう。
 そして第2回東京裁判が実現する。
 その頃は亜細亜も世界も良識を取り戻して、
 総てが公正にして心理の法の前に平等に裁かれる
 その時こそ東亜積年の侵略者であった
 欧米列強の指導者達はこぞって重刑に処せられ
 かつて重罪をこうむった日本人就中 A級戦犯の7柱は一転して
 全亜細亜の救世主となり、神として祀られる日が来るであろう。
 またそのようになるべきである」
インド独立運動指導者 ヘランボ・ラル・グブダ
『世界がさばく東京さいばん -85人の外国人識者が語る連合国批判』
終戦五十周年国民委員会より


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