毅然とした態度と行動 [近代史+ (日本)]
学校教科書やNHK、朝日新聞などでは教えない日本近代史を知ると
日本はスゴイ、と思うことが多々ある。
そして なんだそりゃ! と思うこともあって
そのひとつが戦前の腰ぬけ外交。
こづきまわされ、なめられ、しぼられ、
暴行され、略奪され、凌辱され、虐殺され、
それらえげつなさを際限なく受けたのは
白人国家に対峙した日本人、それに支那大陸にいた日本人。
NHKや朝日新聞の嘘とは違う、日本人が加害者じゃない、被害者。
日本政府は “日支(日中)友愛”とか言って支那人の暴挙に反撃もせず、
日本人を守らず、悪を世界に発信せず、黙り続けた。
結果、日本人は更になめられ、虐殺が繰り返され、
それら えげつなさが繰り返された。
そして多くの日本人がむごい被害に合い続け、膨大な国益が失われていった。
今の民主党日本政府の外交と似ている。
違いは、戦前の日本政府は ただただ支那などに優し過ぎた、
今の日本政府は ただただ国を売る存在にしか過ぎない。
週刊新潮に連載の「藤原正彦の管見妄語」にその
なんだそりょ!
と思ったことがまとめてあった。
フルコピーペースト:
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藤原正彦の管見妄語/かんけんもうご
宣伝下手
先日、友人のイギリス人数学者が私にこう言った。
「日本は中国漁船がぶつかって来たと言ってるようだけど、
今もビデオを公開しないのは
日本側に都合の悪いことがあるからなんじやない」。
案じた通り世界はそう受け取っている。
日本人同士なら今後を考え事を荒立てずにすませてもよいが、
国際問題は逆に、今後を考え明瞭に決着をつけないといけないのだ。
相手の感情を害すことになろうとあいまいにすませておくと後で国益を大きく損なう。
相手国というよりむしろ世界に向けて明瞭にしなければならないのだ。
昭和六年の満州事変以前、日本はいくつもの事件をあいまいに処理した。
昭和二年に南京で、国民革命軍が日米英などの居留民を襲い虐殺を行った。
米英は艦砲射撃で反撃したが、日本軍だけは日支友好を唱える
幣原外相の方針により日本人居留民を見捨て静観した。
見くびられた日本は
翌三年にも済南で、多数の在留邦人が暴行、虐殺され女性は死体にまで凌辱を加えられた。
ここでもほとんど抗議をしなかった。
五年には、ポーツマス条約で認められた日本の南満州鉄道経営を破綻させるため
中国は、日中合意により禁止されていた並行脈の建設を始めた。
日本人の土地利用や鉱山経営をも禁止した。
翌六年には旅行中の中村大尉を虐殺し、
万宝山では二百人ほどの朝鮮人農民(当時は日本人)を虐殺した。
日本は抗議らしい抗議を行わなかった。
鉄道に対する運行妨害、列車強盗、駅や電線の略奪などは数百件に達していた。
ありとあらゆる国際法違反を国際社会に訴えることもしなかった。
穏便にすませるばかりの政府と恩をことごとく仇で返す中国に対し、
国民の不満は爆発寸前だった。
事変勃発ニケ月前の調査では、
満州での武力行使を東大生の八八%が支持していたという。
このような空気を見て関東軍は満州事変へと突っ走った。
このような状況下での軍事行動は当時の国際常識では当然と言ってよいものだったが、
中国側の宣伝しか知らされていない世界は日本を一方的に非難した。
日本は翌々年、国際連盟を脱退し世界の孤児となった。
世界一宣伝下手な日本は世界一宣伝上手の中国に翻弄され続けている。
昭和十二年の南京戦から約一年間に国民党の国際宣伝処は
三百回近い記者会見を外国人記者に対し行った。
この熱意には驚くが、もっと驚くのは、
その中で一度も触れられなかった南京大虐殺を、八年後の東京裁判で
華々しくデビューさせたことだ。
八年の粘り強い努力で大虐殺に気づいたのだろう。
最近になっても、国内の不満をかわす目的もあり、
南京関係の本や映画を作り続け世界にばらまいている。
尖間では世界に向かい日本の謝罪と弁償を激しく言い立てた。
日本は我慢を重ねるだけだ。
そして時折、満州事変、国連脱退、真珠湾攻撃などと爆発する。
両極端しかない国となり果てている。
「徳を行っていればいつか世界は分ってくれる」は誤りだ。
世界のほとんどを占める徳なき人々に徳は通じない。
我が国の立場を世界に国際語の英語で発信する必要がある。
大規模な国際広報局の創設が急がれる。
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アメリカの宣戦布告書ともいえる「ハルノート」の内容も
日本政府は大々的に世界へ公表していない…
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日本政府がやらずに民間で世界に情報発信しているのが
史実を世界に発信する会:
http://hassin.org/
地味だが重要なのだ。
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日本はスゴイ、と思うことが多々ある。
そして なんだそりゃ! と思うこともあって
そのひとつが戦前の腰ぬけ外交。
こづきまわされ、なめられ、しぼられ、
暴行され、略奪され、凌辱され、虐殺され、
それらえげつなさを際限なく受けたのは
白人国家に対峙した日本人、それに支那大陸にいた日本人。
NHKや朝日新聞の嘘とは違う、日本人が加害者じゃない、被害者。
日本政府は “日支(日中)友愛”とか言って支那人の暴挙に反撃もせず、
日本人を守らず、悪を世界に発信せず、黙り続けた。
結果、日本人は更になめられ、虐殺が繰り返され、
それら えげつなさが繰り返された。
そして多くの日本人がむごい被害に合い続け、膨大な国益が失われていった。
今の民主党日本政府の外交と似ている。
違いは、戦前の日本政府は ただただ支那などに優し過ぎた、
今の日本政府は ただただ国を売る存在にしか過ぎない。
週刊新潮に連載の「藤原正彦の管見妄語」にその
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と思ったことがまとめてあった。
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藤原正彦の管見妄語/かんけんもうご
宣伝下手
先日、友人のイギリス人数学者が私にこう言った。
「日本は中国漁船がぶつかって来たと言ってるようだけど、
今もビデオを公開しないのは
日本側に都合の悪いことがあるからなんじやない」。
案じた通り世界はそう受け取っている。
日本人同士なら今後を考え事を荒立てずにすませてもよいが、
国際問題は逆に、今後を考え明瞭に決着をつけないといけないのだ。
相手の感情を害すことになろうとあいまいにすませておくと後で国益を大きく損なう。
相手国というよりむしろ世界に向けて明瞭にしなければならないのだ。
昭和六年の満州事変以前、日本はいくつもの事件をあいまいに処理した。
昭和二年に南京で、国民革命軍が日米英などの居留民を襲い虐殺を行った。
米英は艦砲射撃で反撃したが、日本軍だけは日支友好を唱える
幣原外相の方針により日本人居留民を見捨て静観した。
見くびられた日本は
翌三年にも済南で、多数の在留邦人が暴行、虐殺され女性は死体にまで凌辱を加えられた。
ここでもほとんど抗議をしなかった。
五年には、ポーツマス条約で認められた日本の南満州鉄道経営を破綻させるため
中国は、日中合意により禁止されていた並行脈の建設を始めた。
日本人の土地利用や鉱山経営をも禁止した。
翌六年には旅行中の中村大尉を虐殺し、
万宝山では二百人ほどの朝鮮人農民(当時は日本人)を虐殺した。
日本は抗議らしい抗議を行わなかった。
鉄道に対する運行妨害、列車強盗、駅や電線の略奪などは数百件に達していた。
ありとあらゆる国際法違反を国際社会に訴えることもしなかった。
穏便にすませるばかりの政府と恩をことごとく仇で返す中国に対し、
国民の不満は爆発寸前だった。
事変勃発ニケ月前の調査では、
満州での武力行使を東大生の八八%が支持していたという。
このような空気を見て関東軍は満州事変へと突っ走った。
このような状況下での軍事行動は当時の国際常識では当然と言ってよいものだったが、
中国側の宣伝しか知らされていない世界は日本を一方的に非難した。
日本は翌々年、国際連盟を脱退し世界の孤児となった。
世界一宣伝下手な日本は世界一宣伝上手の中国に翻弄され続けている。
昭和十二年の南京戦から約一年間に国民党の国際宣伝処は
三百回近い記者会見を外国人記者に対し行った。
この熱意には驚くが、もっと驚くのは、
その中で一度も触れられなかった南京大虐殺を、八年後の東京裁判で
華々しくデビューさせたことだ。
八年の粘り強い努力で大虐殺に気づいたのだろう。
最近になっても、国内の不満をかわす目的もあり、
南京関係の本や映画を作り続け世界にばらまいている。
尖間では世界に向かい日本の謝罪と弁償を激しく言い立てた。
日本は我慢を重ねるだけだ。
そして時折、満州事変、国連脱退、真珠湾攻撃などと爆発する。
両極端しかない国となり果てている。
「徳を行っていればいつか世界は分ってくれる」は誤りだ。
世界のほとんどを占める徳なき人々に徳は通じない。
我が国の立場を世界に国際語の英語で発信する必要がある。
大規模な国際広報局の創設が急がれる。
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アメリカの宣戦布告書ともいえる「ハルノート」の内容も
日本政府は大々的に世界へ公表していない…
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地味だが重要なのだ。
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