靖国神社 (平成22年3月14日) [靖国神社]
靖国神社へ / 骨董市:
暖かい日差しに桜の芽(東京の桜開花の基準は靖国の桜):
誰が置いたのか 足元に人参:
土俵は新しくなる / 正面に遊就館:
パール判事:
遊就館内の零戦:
---
涙の出る限り泣いてください
海軍大尉 橋 本 光 雄 命
昭和二十年三月十一日
インドシナ東方海上にて戦死
福島県双葉郡久之浜町出身
二十六歳
光雄、このたび海軍予備学生に志願中のところ、
採用予定者として一週間の後、家郷を出でんとす。
(中略)
世人或は云はん。
何も大学まで進みながら、最も危険なる航空に志願せずともよろしからんにと。
されど大学は立身出世の為の大学にあらず。
祖国日本なくして大学なく、祖国なくして家もなし。
(中略)
世人或は云はん。
光雄一人くらゐ志願せずともよろしからんにと。
されど皆かく考へるに至らば、最後には祖国を護る者、遂に一人も残せざるに至るべし
(中略)
光雄は祖国の急を救ふため、男子の本懐として雄躍征って参ります。
(中略)
光雄が死ぬときは
天皇陛下萬歳
大日本帝国萬歳
と呼んだら、すぐ心の中で母ちゃんと呼びます。
心の中で呼んでも母ちゃんにだけは聞こえる様に呼びます。
(中略)
人様の居らぬ所ではいくら泣いても良いです。
お父さんは怒るかも知れませんが、お父さんだって泣きたいのを
男だから痩せ我慢して居るだけでせう。
かまはぬからお二人で涙の出る限り泣いてください。
(中略)
生涯(こしかた)を光雄(われ)の将来(ゆくへ)に捧げたる母が
慈愛(なさけ)に何と報(こた)へん
(中略)
昭和十八年九月一日
御両親様
(原文のまま)
---
BLOG RANKING:
暖かい日差しに桜の芽(東京の桜開花の基準は靖国の桜):
誰が置いたのか 足元に人参:
土俵は新しくなる / 正面に遊就館:
パール判事:
遊就館内の零戦:
---
涙の出る限り泣いてください
海軍大尉 橋 本 光 雄 命
昭和二十年三月十一日
インドシナ東方海上にて戦死
福島県双葉郡久之浜町出身
二十六歳
光雄、このたび海軍予備学生に志願中のところ、
採用予定者として一週間の後、家郷を出でんとす。
(中略)
世人或は云はん。
何も大学まで進みながら、最も危険なる航空に志願せずともよろしからんにと。
されど大学は立身出世の為の大学にあらず。
祖国日本なくして大学なく、祖国なくして家もなし。
(中略)
世人或は云はん。
光雄一人くらゐ志願せずともよろしからんにと。
されど皆かく考へるに至らば、最後には祖国を護る者、遂に一人も残せざるに至るべし
(中略)
光雄は祖国の急を救ふため、男子の本懐として雄躍征って参ります。
(中略)
光雄が死ぬときは
天皇陛下萬歳
大日本帝国萬歳
と呼んだら、すぐ心の中で母ちゃんと呼びます。
心の中で呼んでも母ちゃんにだけは聞こえる様に呼びます。
(中略)
人様の居らぬ所ではいくら泣いても良いです。
お父さんは怒るかも知れませんが、お父さんだって泣きたいのを
男だから痩せ我慢して居るだけでせう。
かまはぬからお二人で涙の出る限り泣いてください。
(中略)
生涯(こしかた)を光雄(われ)の将来(ゆくへ)に捧げたる母が
慈愛(なさけ)に何と報(こた)へん
(中略)
昭和十八年九月一日
御両親様
(原文のまま)
---
BLOG RANKING:
コメント 0