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203高地 [坂の上の雲]

今から100年ちょっと前、
ロシアは当時世界最強の陸軍をもち、海軍兵力は日本の3倍、
人口も工業力も日本に比べて圧倒的な差があった。

先人たちは そんな国に立ち向かった。

親、兄弟、妻、子供を含めて街中の人々は
国/公の為を思い、日章旗をはためかせ
無事を祈り、不安や悲しみを抑え、
出征していく日本兵を見送ったのだろう。

日本兵たちは あの戦いが何を意味しているかよく理解していたに違いない。
あの日露戦争で もし日本が負けていたら、
日本は亡国となり アジアは 今も蹂躙され続けている。
みな毅然とした姿勢で 生れ育った故郷から出征していったのだろう。

旅順港に逃げ込んだロシア艦隊を殲滅するため
203高地を攻めるだけで 13万人以上が動員され
陥落するまでに 43,000人強が負傷16,000人弱が戦死した。

彼らもいま靖国神社に祀られている。

20091128_旅順口s.jpg
(旅順港 / Google mapより)

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http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091127/plc0911270721007-n1.htm

【from Editor】政権に届かぬ「旅順」の気概
2009.11.27 07:18

 琴線に触れる原稿に出会うと編集の仕事を忘れ、熟読してしまう。日露戦争の分岐点となった旅順の攻防。その戦地跡を訪ねた思いを綴(つづ)った文芸評論家で都留文科大学教授の新保祐司氏の今月6日付正論には引き込まれた。

 文中で新保氏も指摘しているが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の中に印象深い場面がある。膨大な犠牲を出して二〇三高地を占領した直後、有線電話に取り付いた満州軍総参謀長の児玉源太郎が、山頂の将校に「旅順港は見下ろせるか」と問いかけ、「各艦とも一望のうちにおさめることができます」と答えるくだりである。

 当時、旅順港内にはロシア太平洋艦隊が停泊中で、これを沈めねば日本の連合艦隊は迫りくるバルチック艦隊と挟撃されかねない状況にあった。一望できれば据えた砲で港内の艦艇を殲滅(せんめつ)できる。旅順陥落は喜望峰を回り日本に迫っていたバルチック艦隊の司令官、ロジェストヴェンスキーを愕然(がくぜん)とさせた。そのあたりは吉村昭の「海の史劇」にも詳しい。

 国を守るという気概はいつの時代でも当然のことだが、夥(おびただ)しい血が流れた旅順はその象徴でもあったと思う。この場面は何回か映画化され、1980年封切りの東映「二百三高地」での丹波哲郎演じる児玉源太郎の演技には鬼気迫るものがあったが、この明治人の持っていた気概が、時を追うごとにうせているのではないかという危惧(きぐ)が常にある。

 旅順港に照準を合わせた大砲も連合艦隊の旗艦、三笠に代わるものもわれわれは持ちえない。極論すれば、仮に日本が有事となれば流れるのは若い米兵たちの血である。その意味で、米軍普天間飛行場移設をめぐる現政権の発言はあまりに無神経すぎないか。

 例えば鳩山由紀夫首相は13日の日米首脳会談で日米合意を基本とするよう求めたオバマ米大統領に「私を信頼してほしい」と語り、翌日にはシンガポールで日米合意は前提としないと明言した。言動のぶれはすでに「危なっかしさ」を通り過ぎている。

 隣国の北朝鮮は核保有を公言、早ければ来年にも原潜に空母を加えた中国艦隊が日本周辺を跋扈(ばっこ)する。偶発性も含めた脅威は常に日本の背中に張り付いている。

 新保氏は二〇三高地を「日本人の巡礼すべき聖地」と結んでいるが、その通りと思う。ぶれ続け、方針を明確にしない首相や閣僚言動の記事を編集しながら、最近は恐ろしい気持ちになる時がある。

(編集長 鶴田東洋彦)
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産経新聞SS.jpg

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