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興亜観音 と 七士之碑 [近代史+ (日本)]

戦争犯罪国家、米国GHQが日本を占領すると
極東国際軍事裁判(東京裁判)というリンチ裁判で罪を捏造し
無実たる日本のリーダー達を A級戦犯だのB級戦犯だとかで処刑した。
冤罪(えんざい)じゃない、これも戦争犯罪以外の何物でもない。

そうやって日本は悪とされ、
A級戦犯 と聞いただけで パブロフの犬 よろしく
無条件反射で 悪者だ、怖い、バカだ、となる。
日教組教職員やNHK関係者、朝日新聞社員たちは ひきつけを起こす。

GHQは日本のリーダー 7名を処刑し、火葬すると
その遺灰を無造作にまとめて どこか(海?)に廃棄した。
ところが無造作が過ぎて残っていた遺灰は密かに回収され
熱海にある興亜観音のそばの石碑 (七士の碑)の下に埋葬された。

七士氏名:
松井石根 / 東條英機 / 板垣征四郎 / 土肥厚賢二 / 木村兵太郎 / 武藤章 / 廣田弘毅

興亜観音は陸軍大将松井石根により支那事変での日中両軍戦没者を
ひとしく供養するために建立されていた。

O 興亜観音といえば「礼拝山興亜観音」であり、
O それをサポート(奉賛(ほうさん))するのが「興亜観音奉賛会」。
△ 「興亜観音を守る会」もあったのだが
× どこかの新興宗教「世界OO教」の傘下にある
× 「熱海興亜倶楽部」から役員を
△「興亜観音を守る会」に送り込み、その役員が悪臭を放ち始めた。
× 興亜観音の資金をもって参道横隣接地を買収し「ペット霊苑」を企んでいた
などあって「興亜観音(礼拝山興亜観音)」は「興亜観音を守る会」と絶縁。

混同しないように注意しなければいけない:
20091123_興亜観音問題参考図2S.jpg

礼拝山興亜観音:
http://www.koakannon.org

ただ興亜観音の場所は参拝するにはアクセスが容易じゃない。
たとえば都内からなら首都高-第三京浜-横浜新道-湘南バイパス-真鶴道、
付近には駐車場はなく、木々の間を急な坂、山を昇っていくとある:
20081230_興亜観音・七士の碑01.jpg

興亜観音堂:
20081230_興亜観音・七士の碑02.jpg

参拝したのは去年の暮、12月30日。
誰もいなかった、と思ったら山の下から声が聞こえる
「よくおいでなすりましたぁー」…「よくおいでなすりましたぁー」
声はすれど しばらくは姿が見えず。

現れたのは松井大将が連れてきた先代堂守の伊丹忍礼師の娘である
伊丹妙浄尼だった。(娘といえど己よりずっと年配の方)

ちょっと話し込んでしまった。
何か用事があるらしく また妙浄尼が出ていく前に
昼の食事も用意してくれて 大変に恐縮:
20081230_興亜観音・七士の碑03.jpg

興亜観音:
20081230_興亜観音・七士の碑04.jpg

七士の碑(かつて ひきつけを起こした連中に爆破された亀裂がある):
20081230_興亜観音・七士の碑05.jpg

私は知っています。
安らかに おやすみください。

---
1. 興亜観音の建立

 興亜観音は、正しくは「宗教法人礼拝山興亜観音」といいます。

「建立縁起」によれば、昭和十五年(紀元弐千六百年=1940年)二月、陸軍大将松井石根の発願により、支那事変での日中両軍の戦役者を「怨親平等」にひとしく弔意、供養する為に、建立されたものです。 二十四日の開眼式には願主の松井石根を初め、朝野の名士、戦役者遺族多数参列のもと、芝増上寺貫主、大島撒水僧正を導師として盛大且つ厳粛に行なわれました。

 松井大将は昭和十二年(1937年)七月、支那事変の勃発により、八月 上海派遣軍司令官を命ぜられ出征、 呉淞(ウースン)に上陸し南京(ナンキン)攻略まで指揮に当たりました。 大将はこの激戦で日支両軍とも多くの将兵の血が流れたことを悼み、凱旋帰国後 熱海伊豆山に居を構え、被我戦役者の御霊を弔い、供養する為、 興亜観音の建立を発願されました。

 露立の聖観音像は、同戦争の激戦地である大場鎮(ダイジョウチン)・南京地域の「戦場の土」を取り寄せ、愛知県常滑の佛像陶工師柴山清風氏にはかり、彫塑家小倉右一郎氏の協力を得て制作されました。高さ一丈(3.3米)、推定重量百五十貫(約600Kg)。

 赤銅色の観音様は七十年の風雨に耐え、温容をたたえ、慈しみのまなざしをもって遥か支那大陸南京の地に向き合って合掌し、静かに祈り続けておられます。

2.七士之碑

 大東亜戦争後の極東国際軍事裁判(東京裁判)で(所謂)A級戦犯とされた七士は、昭和二三年十二月二三日…今上陛下(当時皇太子)ご誕生日…に処刑され、遺体はその日に横浜久保山火葬場で荼毘に付されました。 火葬が済むと米軍兵士は区別されていた七士の遺骨を無造作にかき混ぜ黒塗りの箱に一緒に入れて運び去りました。この遺骨は東京湾に捨てられたと言われます。

 ところが黒塗りの箱に入れ残った遺骨遺灰骨壷約一杯分か、米兵の手でゴミのようにコンクリートの穴に捨てられたのを当時の飛田火葬場長が目撃していました。 これを飛田場長から聞いた三文字正平氏(東京裁判の小磯国昭元首相弁護人)らは二十六日夜半、厳重な警戒網を潜ってそのご遺灰を回収し、取り敢えず近くのお寺に隠すことに成功しました。

 その後三文字氏は松井大将他七士の遺族らと相談し、翌年五月三日廣田、東條・武藤両未亡人とともに興亜観音を訪れ、先代堂守伊丹忍礼師に「知り合いの方の遺骨だが時期が来るまで秘蔵しておいて欲しい」と申し出られました。 伊丹師は一見して七士のものと直感、こころよく承諾されました。 そして後の昭和三十四年四月十九日、吉田茂元総理の字で彫られた「七士の碑」が建立されました。 ご遺灰は今石碑の下に埋葬されていますが、実に飛田氏、三文字氏、伊丹忍礼夫妻のご偉業であります。 なお松井大将のふるさと愛知県の幡豆郡三ケ根山にある「殉国七士之墓」は、三文字氏らの配慮により昭和三十五年八月に興亜観音から分骨して建てられたものです。

 現在は七士之碑のほかに、「大東亜戦争戦没戦士菩提」(昭和十九年建立)及び「大東亜戦争殉国刑死一〇六八霊位供養碑(BC級戦供養)」が建てられております。

 (七士氏名:松井石根・東條英機・板垣征四郎・土肥厚賢二・木村兵太郎・武藤章・廣田弘毅)

【余話:ベーカー中将の不思議な因縁】

 東京裁判の七士処刑の責任者ヘンリー・ウオーカー中将は朝鮮戦争では米軍司令官であった。 七士二年目の祥月命日である昭和二十五年十二月二十三日、中将は第一戦視察の途中自ら運転していたジープの操縦を誤り事故死してしまった。 周囲が七士の崇りと思ったのも無理はない。中将の副官は友軍の韓国将校意見を入れ、興亜観音に七士の墓があると聞きお詣りに訪れた。 話を聞かれた伊丹忍礼師は「怨親平等」のもと彼等を温かく迎え、ウオーカー大将(戦死後進級)の霊を丁重に供養して差し上げた。


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【興亜観音問題の本質】

 興亜観音に深いご関心をお持ちの皆様には既にご承知のとおり、本山は平成21年9月1日付を持って、「興亜観音を守る会(以下「守る会」)」に対し、お山へ入ることをご遠慮願うことに致しました。この決定を、守る会の内紛とか、興亜観音と守る会との抗争のように短小化して捉えることは誤りであります。以下ここに、新生興亜観音及び同奉賛会の立ち上がりにあたり、今回の本山による「守る会絶縁問題」の本質をご説明申し上げます。

 初めに、興亜観音は平成6年「守る会」が設立されてからの同会からの多年に亘る篤いご支援と、特に12年から18年頃までは、双方共に良好な関係の下にお山を守って来られましたことに深<感謝申し上げます。

 さて平成19年秋以降、熱海市内、興亜観音の近接地に広大な敷地を持つ「世界○○教」は、「熱海興隆倶楽部(以下「倶楽部」)」を設立し、教団より役員を送り込み、「守る会」の一部執行部理事に接近を謀りました。

この一部理事は「倶楽部」と共謀し、興亜観音責任役員会にも内密のまま、興亜観音の資金をもってお山への参道横隣接地を買収し、世界○○教の資金を使って「ペット霊園」を造ることを計画しておりました。

この不穏な企みは、20年3月に発覚し、一部理事は責任役員会全員及び興亜観音奉賛会からは猛反対を受けました。これにより興亜観音は4月、「倶楽部」に対して「入山禁止」措置を取りました。

 しかしこの事件関係理事当人はその後も密かに計画を進め、6月には不審に思った責任役員が、当人を飛び越して隣接地売買計画の相手に直接現状を質問したところ、「既に売買契約書の準備も出来ており、興亜観音側の資金準備が整えば取引は完了する」との返事でした。直ちに責任役員及び関係者はこの理事に徹底抗議し、事なきを得ましたが、正に危機一髪だったのです。

然るにその後もこの理事および一部執行部は、前年4月に興亜観音が絶縁した筈の「倶楽部」の会長を「守る会」の理事に選任する(本年5月守る会総会)等、倶楽部にとっては有利な反面、興亜観音にとっては明らかに背信的な行為を続けて来ておりました。これら一連のことは当人と倶楽部との間に何らかの特別の関係がない限り不可解な行動です。

 一方ネツト等の記事によれば、世界○○教の創立者岡田茂吉は昭和10年頃に、わが身に観音様が宿ったと称したり等で、刑事事件を起こしているようです。また戦後は「日本観音教団」を称したり等、観音様と縁を繋ぐ活動をしていた過去があります。

この様なことから興亜観音では予てより、世界○○教の関係機関である「倶楽部」が「興亜観音」に接近をして来ることに警戒をしておりましたが、既に20年の初頭頃には「守る会」は執行部理事等の危機に対する怠慢、無頓着又はそれ以上の接触により、完全に「倶楽部」に取り込まれてしまったと看倣されるようになっておりました。このことは昭和十七年以来地元熱海を中心にお山を支えて来られた興亜観音奉賛会の皆様からも、事態を憂慮する報告が日々刻々と届いておりました。

以上の経緯より、興亜観音住職伊丹妙浄及び執事責任役員伊丹靖明の両名は、お山を守るために、本年2月以降「守る会」会長に現状の危機を訴えるべく、熱海と東京と離れた地において、再三再四に亘って書状により面談の申し入れを重ねましたが、代表者である会長は「自分の任にあらず」として、かといって代理の役員を立てることもなく、これを全て断り続けて居りました。

 このような事態に窮した伊丹家では、最早自分達だけで解決することは不可能と判断し、本年四月、多年妙浄尼と親しくあった本間尚代(現責任役員)に相談、本間は黒岩徹(現責任役員会議長)を伊丹家に紹介したのであります。

その後は、伊丹家両名及び黒岩・本間・田村智亮(=現奉賛会理事)は一致団結し、守る会設立(平成6年)からの伊丹家と守る会との歴史を踏まえての関係を詳述した文書を作成し同封の上、改めて守る会々長に面談要請をしました(8月12日付)。しかしこれも断られた為、8月末日を期限とする条件付最後通告を書留郵便(8月19日付)にて郵送しましたが、これには返答さえもありませんでした。

以上より礼拝山興亜観音は、お山の危機を救うためには、上述のような一部役員理事執行部が牛耳る「守る会」を絶縁する以外に無いと判断するに至り、9月1日付の「守る会の入山をご遠慮願う」決定になった次第です。その後も本山は、「守る会」との修復を図るヒントを提示し続けましたが、「守る会」はこれも無視し続けて今日に至りました。

 興亜観音は以上の様な事態に備え、事実を皆様に知って頂<ために、8月末よりホームページの作成に着手しましたが、この様な一般公開的手段も執らざるを得なくなった事情も合わせ、何卒宜しくご理解の程をお願い申し上げます。

幸いなことに、9月ホームページ開設以降、「守る会」を絶縁したことにより、「興隆倶楽部」との関係も完全に断ち切れたことにご安堵された皆さま、更には他府県ご遠方からのお若い人達の参拝も増えており、仮に心強い限りです。

本件に関する詳しい事情は、本山のホームページ(http://www.koakannon.org)をご覧下さい。またご不明な点に付きましては、お問合せページをご利用下さい。

 今後は、宗教法人法に則り正規に設立された歴史ある興亜観音奉賛会と協力し、共に礼拝山興亜観音を守り続けて参りますので、何卒皆様のご支援の程を宜しくお願い申し上げます。

平成21年11月7日

礼拝山興亜観音 責任役員会
  代表  伊丹 妙浄
  議長  黒岩 徹
---
興亜観音の場所:
20081230_興亜観音・七士の碑00.jpg
(Google map より)

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元気

こんばんは。

七士の碑を爆破するなど正気の沙汰ではありませんね。
けれども、戦後の歩み(教育)を考えると、真実など知りたくもない日本人を量産して来た気がします。
己のことに専念する日本人が多くなりました。
国あっての己。己を大切にするために国を護る。
先人の歩んだ歴史を守ることは、日本人の誇りを守ることなのだと、
思い至らない教育を施された気がします。

花うさぎさんが、22日のブログで、東條由布子氏の講演録を紹介されていました。
「近現代史教育実践委員会 第4回委員会 東條由布子氏 講演録」
http://www08.jaycee.or.jp/2008/identity/manual/hist/kouenroku-tojyoyuko.pdf

genn さんの記事でご紹介の、
愛知県の幡豆郡三ケ根山にある「殉国七士之墓」 のこと、132基の部隊碑のことも言及されておられました。

いまだに、世界中に113万柱の遺骨が残っていること、知らぬことを恥と思わねばならない気がします。
けれど、無関心でいることを恥としない日本人が増えてしまいました。

「普天間移設先は硫黄島かグアム、社民が検討要求へ」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091119-00000595-yom-pol

こんな恥知らずなことを要求する党が与党の一翼を担っています。
硫黄島に眠る遺骨を一つ残らず収集し供養することが先でしょうに。(怒)

自虐史観も無関心も根は同じだと思います。
近代史教育から改めねば日本再生は不可能な気がします。
けれど、現実は、卵が先かニワトリが先かに似た状況です。
さて、どうしたものか… 

by 元気 (2009-11-24 00:29) 

genn

yukikazeさん、

御越しいただきありがとうございます。

by genn (2009-11-24 21:44) 

genn

元気さん、

自国の歴史教育内容は その国の Backbone/背骨になるし
その国を弱体化させるには 誇りを失わせる歴史内容にすればいい。
という旨を誰かが、たしか渡辺昇一が、どこかで書いてました。

その通りだと思います。

かつて英国は 左翼によって歴史教育を
英国は侵略国家であったことを強調した内容にされてしまった。
それで国民は誇りを失い、国力が落ちたそうです。
それを当時の首相、鉄の女サッチャーがその内容を調整しています。

日本の場合、捏造された歴史内容を教育されてます。
しかし誇りある歴史教育をするには真実を語ればすみます。
でも それが全くできてません。

だから日本に誇りを感じない国民は
民主党の悪臭を感じないし放置してしまうのだと思います。

日教組と朝日新聞を潰し、NHKを正せば
全ての遺骨を国に返すようにもなるのだと思います。

気がついた人たちが みな、情報を発信してほしいものです。

by genn (2009-11-24 21:44) 

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