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戦没者の帰還 [近代史+ (日本)]

国の為に戦い命を落とした国士たちは海外に約240万人いて
戦後60年以上にもなるのにまだその半数もが まだ放置されたまま。

かつては血が通っていたんだ。
親や兄弟、家族がいて平和に暮らしてたのだ。
国ために、我々の為に戦ってくれたのだ。

可及的速やかに大規模に徹底して一人残らず国に戻ってもらう、
それを国家が対応するのは あたりまえだ。

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産経新聞記事から引用:

「すべての兵士を故郷に帰す」米国:

アメリカには、軍の作戦行動中に戦死したり、行方不明になった兵士の捜索や遺体回収、
身元確認、遺族への返還を専門的に行う4軍の統合組織(JPAC)がある。その実動部隊がCILだ。
その徹底ぶりは関係者の間でつとに有名だ。

たった一人の兵士の遺骨を捜すために、硫黄島に大人数のチームを送りこんだり、
ドーバー海峡が干潮になったときに海底の泥を全部吸い上げて、
欧州戦線で亡くなった兵士の遺骨を捜索したこともある。

「CILは予算も人も投入して、“当たり前のこと”としてやっている。
 アメリカで戦死者はヒーローだが、日本ではいまだに“日陰の身”の扱い。
 この認識の違いはあまりにも大きい」

アメリカのCILをみれば分かるように、
国家のために命をかけた人の慰霊をおろそかにしている国など、
世界を見渡してもどこにもない。
 「戦没者の遺骨を野ざらしにしてはならない」。

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産経新聞記事から引用:

フィリピン:
海外での戦没者の5人に1人強(約52万人)がフィリピンで亡くなっている。
そのうち、祖国に戻ることができた遺骨は、いまだ約13万人にすぎない。

レイテ島:
約8万人の日本兵が亡くなっている。
遺骨の近くで、名前が入った水筒などが見つかった。
「遺族に手渡してあげれば、どんなに喜ぶだろうか」と思う。

シベリア:
「氷点下50度に冷え込む酷寒の中で鉄道工事をさせられた。
 栄養失調になって同期の約半数が死にました」
「せめて、シベリア抑留のことを若い人に伝えていきたい。
 学校ではロクに教えてくれませんからね」

パラオ・ペリリュー島:
約1万1000人が亡くなった同島では、これまでに約7600柱の遺骨が収集された。
残るは約2500柱。

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アルピニストの野口健さん(36)らがメンバーになり、フィリピンで戦没者の遺骨収集を行っている
NPO法人「空援隊(くうえんたい)」(理事長・小西理(おさむ)元衆院議員)は…
国の予算で収集を行うことを求める公開質問状を鳩山由紀夫首相らに提出する。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091028-00000066-san-soci

「国の予算で収集を」 戦没者遺骨3万体 比で新たに確認
10月28日7時56分配信 産経新聞

00_戦没者遺骨収集.jpg
(野口健さん(写真:産経新聞))

NPO法人、きょう首相らに公開質問状 

 アルピニストの野口健さん(36)らがメンバーになり、フィリピンで戦没者の遺骨収集を行っているNPO法人「空援隊(くうえんたい)」(理事長・小西理(おさむ)元衆院議員)は同国内で新たに約3万体分の遺骨の所在を確認したことを明らかにし、28日、国の予算で収集を行うことを求める公開質問状を鳩山由紀夫首相らに提出する。ただ、収集には国の遺骨収集事業予算を大幅に上回る費用がかかるとみられ、鳩山政権の対応が注目される。(喜多由浩)

                   ◇

 約52万人が戦死したフィリピンで空援隊は昨秋以降、現地住民の情報ネットワークを活用した新方式を構築し、今秋までの約1年間で前年の約25倍にあたる約5千体の遺骨を日本に持ち帰っている。

 9月には、国の委託事業として、これまでほぼ“手つかず”だったミンダナオ、パラワンのほか、ルソン、ミンドロ、セブなどの主要島を改めて徹底調査した結果、約3万体の遺骨の所在が確認できたという。見つかった遺骨は「旧日本兵のもの」とする現地村長らの証言が公正証書になっている。

 ところが、同隊の試算ではすべての遺骨を日本に持ち帰るには、現地住民の人件費、遺骨の保管費、輸送費などで約3億円かかる。今年度、同隊には厚生労働省から遺骨調査・収集委託費として2450万円が支給されているが、すでに使い果たし、現在は同隊が“自腹”で活動を行っている状態だ。

 担当の厚労省外事室は「遺骨収集が重要な事業であるのは間違いないが、国の予算には限りがあり、その枠内でやっていただくしかない」と話し、今年度予算では、せいぜいあと2千体の収集が限度という。来年度予算の概算要求でも同省は今年度の倍額を盛り込んだものの、3億円には遠く及ばない。

 公開質問状は、「(約3万体分の遺骨は)予算さえあれば送還できる。このままでは国家による遺棄だ」として、政府の見解を求めている。同時に同隊顧問の浜田靖一前防衛相名で同内容の質問主意書を国会に提出する。

 同隊の小西理事長は「このままではせっかく見つけた遺骨が散逸してしまう。国のために命をささげた先人に対して、国は責任を果たしてほしい」と話している。

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以下 「戦没者遺骨収集のいま」:

http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090203/asi0902030827001-n1.htm

【あなたを忘れない 戦没者遺骨収集のいま】(1)アルピニスト・野口健さん
2009.2.3 08:25

01_戦没者遺骨収集.jpg
(フィリピンのセブ島の遺骨収集現場で(2008年3月))

国家のプライドの問題だ

 「国のために命をなげうった人たちじゃないですか。国の責任で帰すのは当然のこと。国家としてのプライドの問題だ」 

 最近、いろんな機会をとらえて遺骨収集の問題を訴えている。NHKの番組で「話したい」というと、最初は渋っていたディレクターもカットをせずに放送してくれた。異例のことである。活動を知って、資金援助を申し出てくれたスポンサーもあった。「それは、やらなくちゃいけないよね」と。

 昨年、超多忙のスケジュールを縫ってフィリピンへ2度、渡った。熱帯のジャングルの洞穴で放置されたままの無数の遺骨を目の当たりにした。きれいな歯が残っていて、20歳前後と思われる遺骨も多い。「故郷に帰りたかっただろうな」と思うと胸が詰まった。 

 海外での戦没者の5人に1人強(約52万人)がフィリピンで亡くなっている。そのうち、祖国に戻ることができた遺骨は、いまだ約13万人にすぎない。

 「激しい戦闘があったレイテ島では、約8万人が亡くなっている。補給もないまま、追い詰められて…。1万人以上が立てこもってひとりも帰らなかった山もある。その遺骨の多くが、いまだに帰っていないんです」

 遺骨収集の問題は、“時間との闘い”でもある。戦後60年あまりが過ぎ、情報はどんどん少なくなる。「急がなきゃ」と思う。なのに、政府の遺骨収集事業ははかばかしい成果が挙がっているとはいえない。政府高官から“幕引き”を示唆する発言が飛び出したこともあった。

 「あの戦争に正面から向き合っていないと思う。こんなことでは今後、国のために命をかける人はいなくなる。政治の力で『絶対に連れて帰るんだ』という意思を示してもらいたい」

 かつて、富士山やエベレストのゴミの問題に取り組んだときも最初は冷ややかだった。だがいろんな場所で深刻さを訴えて協力を呼びかけ、今では大きなムーブメントになった。

 「僕の役割はできるだけ多くの人に『伝える』こと。ほとんどの国民は遺骨収集のことをよく知らないのです。でも、反響は思ったよりすごい。確かな手応えを感じてますよ」

 昨年末、遺骨収集事業が民間にも開かれる道筋ができた。この3月、自分の手で遺骨を帰すべく、今一度、フィリピンへ向かう。
                   ◇
 本土以外の戦没者は約240万人。その半数の遺骨が未帰還だ。遺骨収集の「いま」を追う。(喜多由浩)
                   ◇
【プロフィル】野口健
 のぐち・けん 35歳 昭和48(1973)年、米ボストン生まれ。25歳のとき、7大陸最高峰世界最年少登頂記録を達成。遺骨収集問題、環境問題に取り組む。

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http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090206/asi0902060842001-n1.htm

【あなたを忘れない 戦没者遺骨収集のいま】(2)遺族・間島リユさん(67)
2009.2.4 08:34

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(間島ユリさん)

02B_戦没者遺骨収集.jpg
(現地に持っていった父の写真)

「よう来てくれた」と父の声
 父の顔は写真でしかしらない。戦死公報には、「昭和20年7月17日時刻不明、フィリピン・レイテ島ビリヤバで戦死」とだけ書いてある。もちろん遺骨は帰ってこなかった。

 「父が亡くなったのはどんなところなんだろう」
 ずっと、レイテのことが気になっていた。だが、観光資源が少ないレイテに行く日本人向けのツアーなどめったにない。

 あきらめていたところ、昨年、偶然つけていたNHKの番組で、アルピニストの野口健さん(35)が「(遺骨調査のために)10月にレイテに行く」と話しているのを耳にした。その遺骨調査を行うNGOに連絡を取り、開口一番、こう聞いた。「ビリヤバには行きますか?」と。

 灼熱(しゃくねつ)のジャングルの前に、鮮やかなコバルトブルーの海が広がっている。道なき道を数時間もかけて登っていくのは、60歳を過ぎた身には、さすがにきつい。熱さと疲労でくたくたになり、とうとう途中で歩けなくなった。

 そのときである。父の声が聞こえた気がした。
 「よう来たな。よう、ここまで来てくれた」。持参した父の写真を飾り、線香を上げると、涙が止まらなくなった。

 レイテ島では約8万人の日本兵が亡くなっている。敗走に敗走を続け、最後は食糧がなくなり餓死した兵も多いという。

 父が戦死した正確な場所は分からない。遺骨を見つけても本人の特定は不可能だ。

 それでも、「来てよかった」と思う。父は60年あまりも待っていたのである。「ずっと、父のことが頭から離れなかった。だって、私が思わなきゃ、誰が父のことを思うのですか」

 あの戦争ははるか遠くになり、遺族も高齢化していく。遺骨収集に対する遺族の思いもさまざまだ。

 収容所で病死し、墓地に埋葬されているケースが多いロシアでは、戦友が埋めた場所を覚えており、DNA鑑定の結果、本人の遺骨と特定され、娘さんと“60年ぶりの再会”を果たした例もある。その一方で、世代が離れてしまった遺族から、「いまさら…」と遺骨や遺品の引き取りを拒否されることもなくはない。

 今回のレイテの調査でも、遺骨の近くで、名前が入った水筒などが見つかった。「遺族に手渡してあげれば、どんなに喜ぶだろうか」と思う。
 だが、それを誰がやるのか? 一部の人の情熱だけでは、とてもまかないきれない。(喜多由浩)

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http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090206/asi0902060842002-n1.htm

【あなたを忘れない 戦没者遺骨収集のいま】(3)戦友会・茨木治人さん(82)
2009.2.6 08:37

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(銃撃で穴の開いた水筒を手にする影山幸雄さん)

高齢化…「せめて事実伝えたい」

 あどけない軍服姿の顔写真が並んでいる。20歳前後の若さでシベリアに抑留され、収容所で亡くなった、満州国軍軍官学校(士官学校)7期の日本人同期生の写真だ。

 抑留経験者でつくる東京ヤゴダ(木の実の名)会副会長の茨木治人さん(82)は当時19歳。「氷点下50度に冷え込む酷寒の中で鉄道工事をさせられた。栄養失調になって同期の約半数が死にました」

 ロシア(旧ソ連)で遺骨収集が認められたのは、平成3(1991)年になってからだ。仲間の遺骨を探し、慰霊碑を建てるために何度、現地を訪れたことか。800人以上が埋葬されているチタ州「ブカチャーチャー収容所」の墓地を訪れると、目印にしていた「一本松」の枯れた株だけが残っていた。

 そっと、手で土をすくうと、遺骨がのぞく。「水が飲みたかったろうな」と声をかけながら、水筒の水を注いだ。

 それから、幾度となく遺骨収集が行われたが、亡くなった同期生83人のうち、1人の遺骨がどうしても見つからない。

 「もう難しいでしょうね。一番年下の私が82歳。みんな弱っちゃいましたよ」。ヤゴダ会のメンバーも最盛期の300人から70人に減った。

 「せめて、シベリア抑留のことを若い人に伝えていきたい。学校ではロクに教えてくれませんからね」。厳しい表情だった。
                  ◇
 水戸歩二会・ペリリュー島慰霊会の事務局長、影山幸雄(さちお)さん(64)が父親の遺志を継ぎ、パラオ・ペリリュー島での慰霊と遺骨・遺品の収集に取り組んでから約20年になる。

 約1万1000人が亡くなった同島では、これまでに約7600柱の遺骨が収集された。残るは約2500柱。「探せばいくらでも遺骨があるのは分かっているんですよ。ただ、最近は現地の政府が、なかなか許可を出してくれません」

 20年前は慰霊や遺骨収集で島を訪れる人が年間約4000人にも上り、島は彼らが落とす金で潤った。今では、せいぜい200~300人。日本や韓国からレジャー客が押し寄せ、「リゾート化」を目指すようになってから、戦争を思いださせる行為はあまり歓迎されない。

 「遺骨を掘る行為が環境破壊と見なされる。ODA(政府開発援助)と引き換えなら…と持ちかけてくる役人もいます」

 ペリリュー島からの生還者で今も健在なのは7人だけになった。会員も2世が目立つ。「いつまで遺骨収集を続けるべきか?」と自問自答する日もある。

 「ただね。日本政府には毅然(きぜん)とした態度を取ってほしいんですよ。ODAを遺骨収集の交換条件にされるようなことを許してはなりません」(喜多由浩)

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http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090206/asi0902060843003-n1.htm

【あなたを忘れない 戦没者遺骨収集のいま】(4)NPO・倉田宇山さん(52)
2009.2.6 08:15

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(空援隊スタッフと談笑する倉田宇さん(左))

「日本人のために」やる

 「厚生労働省は遺骨収集を遺族のためにやっている、というスタンスだが、私は違う。『日本人のために』やっているんです」。激しい言葉だった。

 家業は神職である。3年前の平成18年、僧侶、元国会議員らと、フィリピンを中心に、遺骨収集(調査)を行うNPO法人「空援隊(くうえんたい)」(本部・京都市)を立ち上げ、情熱と的確な戦略、そして、時には強引ともいえる手法によって、数々の「旋風」と「波紋」を巻き起こしてきた。

 遺族や戦友の情報に頼っていた日本政府派遣の遺骨収集事業は、関係者の高齢化や情報の減少などで、近年は、はかばかしい成果が挙がっていない。特にフィリピンでは、鑑定人の不明瞭(めいりょう)な判定によって、「旧日本兵の遺骨ではない」とはねられる(日本に持ち帰れない)ケースが相次いでいた。

 業を煮やした彼は、昨年末、フィリピン国内に築いた独自のネットワークと人脈を生かして、民間でも、遺骨を持ち帰れる方法に道筋(従来は政府の派遣団のみ)をつけてしまった。慌てたのは厚労省である。「今後も国が主体となって行う」(外事室)と言ってみたところで、相手国(フィリピン)が空援隊の方法を承認しているのだから、考慮せざるをえない。

 新方式で行った2度の派遣で収集した遺骨は約800柱に上る。これは前年度に「全世界で1年間」に収集した数に匹敵する。「今後、もし厚労省が行かないなら、われわれだけで遺骨収集をやる」と言い、役所側と軋轢(あつれき)が起きようが、お構いなし。活動にかかる費用は自前で賄っているから、気兼ねもない。なぜそこまで…。

 「見てしまったんですよ。おびただしい数の遺骨が残されているのをね。(英霊に)呼ばれたんです。だから、仕方ありません」と苦笑する。

 フィリピン・レイテ戦でほぼ全滅した第16師団(京都)の練兵場跡地は、子供のころの遊び場だった。「因縁を感じますね。遺骨収集のことを、『いまさらそんなこと…』と批判する人がいるけど、一度、現場を見てきたらいい。日本人として、放置できるのか?と」

 ここまで、突っ走ってきたのは時間がないからだ。戦後60年あまりが過ぎ、現地での情報収集は、「今後5年が限度」とみている。

 「本来は、厚労省の1セクションだけで対処できる問題ではない。国を挙げたプロジェクトとして取り組むべきなんです。現にアメリカはそうやっている。その“手足”には、いくらでもわれわれがなりますよ」(喜多由浩)

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http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090210/acd0902100811003-n1.htm

【あなたを忘れない 戦没者遺骨収集のいま】(5)専門家集団派遣、科学的に判定
2009.2.10 08:09

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(旧日本軍兵士とみられるおびただしい数の遺骨=フィリピン・セブ島(野口健事務所提供))

「すべての兵士を故郷に帰す」米国

 アメリカには、軍の作戦行動中に戦死したり、行方不明になった兵士の捜索や遺体回収、身元確認、遺族への返還を専門的に行う4軍の統合組織(JPAC)がある。その実動部隊がCILだ。

 第二次世界大戦から、ベトナム戦争、イラク戦争まで、「すべての兵士を故郷へ帰す」を合言葉に、世界中にチームを派遣し、遺体(遺骨)を見つければ、CILの専門家が科学的に身元鑑定を行い、遺族へ引き渡す。

 その徹底ぶりは関係者の間でつとに有名だ。たった一人の兵士の遺骨を捜すために、硫黄島に大人数のチームを送りこんだり、ドーバー海峡が干潮になったときに海底の泥を全部吸い上げて、欧州戦線で亡くなった兵士の遺骨を捜索したこともある。

 そのCILで、研修を受けた40代の日本人がいた。

 彼は、太平洋・ウェーク島でCILが見つけた旧日本軍兵士とみられる遺骨の鑑定に加わり、「レベルの違いを思い知らされた」と打ち明ける。

 遺骨は、3体分が個別に埋葬されており、日本海軍の下士官用のバックルが一緒に見つかった。身元判定の材料となる歯の治療痕もあった。米軍には、第二次大戦以降のすべての行方不明兵士の歯科記録が残されており、DNA鑑定も行って、身元を特定する。CILのスタッフから、「当然、キミたち(日本)もそこまでやるんだろう」と言われたが、日本にはそんな力量も予算もない。結局、身元不明者として、千鳥ケ淵戦没者墓苑へ葬られるしかなかった。

 「CILは予算も人も投入して、“当たり前のこと”としてやっている。アメリカで戦死者はヒーローだが、日本ではいまだに“日陰の身”の扱い。この認識の違いはあまりにも大きい」

 日本にも、CILのような専門家のチームがつくれないのだろうか? 残念ながら、現時点での答えはNOだ。

 日本の場合、遺骨収集事業は厚生労働省外事室が担当している。多数の実動部隊や装備を持ち、専門家も擁している防衛省・自衛隊は国内の硫黄島での一部の業務を除き、基本的に遺骨収集事業にはタッチしていない。拉致問題のように、「内閣府に省庁の枠組みを超えた組織をつくるべきだ」という声もあるが、実現の見通しは極めて低い。

 だが今後、海外派遣が常態化している自衛隊で多数の犠牲者が出た場合などには、どう対処するのだろう。アメリカのCILをみれば分かるように、国家のために命をかけた人の慰霊をおろそかにしている国など、世界を見渡してもどこにもない。国民や現役の士気にかかわるからだ。

 「戦没者の遺骨を野ざらしにしてはならない」。CILで研修をした彼はそう言ったが、日本との差は大きい。(喜多由浩)

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http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090212/trd0902120834004-n1.htm

【あなたを忘れない 戦没者遺骨収集のいま】(6)衆院議員・泉健太さん(34)
2009.2.12 08:32

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(フィリピンの遺骨収集現場で、野口健さん(右)と(昨年3月))

国民運動として再構築を

 ニューギニア、硫黄島…、20代のころ、フィリピンで朽ちた慰霊碑を目にしたのが動機で、青年団体の遺骨収集事業に参加してきた。29歳のとき、大学時代を過ごした京都の選挙区から衆院選に初当選。父親は北海道の地方議員だが、地盤を譲り受けた2世議員ではない。

 昨年3月には、慌ただしい国会日程をにらみながら、NPO法人のフィリピンでの遺骨調査に参加。「永田町」から、この問題に取り組んでいるひとりだ。

 「初当選したとき(平成15年)、当然、遺骨収集問題に取り組む議員連盟があると思って探したけれど、見当たらなかった。なぜなら、かつては議連などなくても、みんな当たり前のように熱心に活動していたからですよ」

 残念ながら、いまの“政界の空気”はそうではない。

 昭和27年度から始まった政府の遺骨収集事業はピークの50年度には、約3万6000柱の遺骨を持ち帰った。ところが、歳月の経過とともに収集数が激減し、昨年度まで3年連続で、遺骨収集数は3ケタにとどまった。

 一部の関係者の中には、遺骨収集事業にはそろそろ幕を引き、慰霊碑の建立や、遺族による慰霊巡拝事業に重心を移すべきではないか、という声もある。

 「私は、国家の責務として遺骨収集事業は当然、続けるべきだと考えています。それが、この国を造っていくために『必要なこと』だと思うからです。ただ、大量収集時代はすでに終わっている。関係者の高齢化が進み、情報も人手も少なくなりました。こうした“現場の実態”に合わせて、今一度、活動を再考、そして再興する必要があるのです」

 かつては、ともに戦った戦友や遺族の情報が頼りだった。国会議員や厚生労働省も、彼らの願いをくんで動いていたことは、間違いない。特に、議員にとって、地元や支援者の意向は重いからだ。

 「(先輩議員の)みなさんは『私たちはもう十分やってきたんだ』とおっしゃるでしょう。それは紛れもない事実。関係者の献身的な努力によって続いてきたのです」。ただし、今後は、関係者だけの運動ではなく、「国民全体の運動として再構築すべきだ」というのである。

 「戦争の傷跡はまだまだ癒えていない。遺骨収集を国民全体の問題として受け止め、次世代に引き継ぐ時期が来ているのです。そのためには、戦後世代を含めて、一般国民が広く収集事業に参加できるような運動体を考えねばなりません」 (喜多由浩)
                   ◇
【プロフィル】泉健太
 いずみ・けんた 民主党衆院議員。昭和49(1974)年、札幌市生まれ。立命館大学卒。議員秘書をへて、平成15年の総選挙で京都3区から初当選(当選2回)

---
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090212/trd0902120849005-n1.htm

【あなたを忘れない 戦没者遺骨収集のいま】(7)遺骨は僕と同世代の若者だった
2009.2.12 08:34

07_戦没者遺骨収集.jpg
(沖縄・首里城の勉強会で)

JYMA理事長・赤木衛さん(44)

 「僕と同じくらいの年齢の若者が、酷寒のシベリアで重労働をさせられ、病気や飢餓のために亡くなった。そのことを後世にしっかりと伝えなければ」

 「私は衝撃を受けた…後頭部を銃で撃たれたり、解剖のために頭部を切断されたであろう、ご遺骨。故郷に帰れなかった悲しみはどれほどだったろう」

 NPO法人「JYMA(旧日本青年遺骨収集団)」は、昭和42年の発足以来、のべ約1500人の大学生らを、遺骨収集事業の政府派遣団に送り出してきた。派遣回数は約250回、持ち帰った遺骨は約15万柱に及ぶ。冒頭の言葉は、遺骨収集に参加した若者たちの感想文である。

 彼らは、ごく普通の現代の若者たちだ。最初は、遺骨収集のことはもちろん、戦争についてさえ詳しく知らなかった学生も少なくない。偶然インターネットで活動を知ったり、学生同士の口コミで、事務所に連絡してくる。最近は女子学生も多い。自分自身もかつては、そんな学生のひとりだった。

 「昔はね、『海外へ行けるから』という動機もありました(苦笑)。ここ数年、参加者は、ほぼ横ばいですね。今年度は約60人のうち8、9割が大学生です」

 政府の派遣団は、厚生労働省職員、遺族、戦友などで構成される。若い彼らに期待されるのは、もっぱら“肉体労働”だ。熱帯のジャングル、洞穴に入り、汗まみれになって遺骨を掘り出す。今や肉親の死にさえ、立ち会うことが少なくなった若者たちにとって、「命」を考え、先人の思いや苦労を知る貴重な機会だ。

 ただ、現在の制度では、政府の派遣団に参加する以外に、若者たちが遺骨収集を行う手段はない。フィリピンでは民間でも収集ができる方法に道筋がつけられたが、他の国では以前と同じだ。
 政府の派遣団は近年、思うような成果を挙げられないでいる。戦後60年あまりが過ぎ、派遣団の主力となっていた遺族、戦友たちは高齢化してゆく。また、「現地での公式行事が多過ぎて実際に作業をする時間が少ない」など、官僚組織ゆえの制約や無駄を指摘する声も少なくない。

 「情報は今もないわけじゃないんです。肝心なのは、今後、限られた予算をどう有効に使い、誰が先人の慰霊を担っていくのか? ということですよ」

 アイデアはある。防衛省・自衛隊の参加やアメリカのCILのような専門チームの創設。そして、NPO法人のような民間団体に幅広く門戸を開くことだ。

 「いつかは政府が『遺骨収集事業をやめる』という時期がくるかもしれない。でも、そこに、ご遺骨が残されているという『現実』と、『やりたい』という若者たちがいる限り、われわれは民間として続けていくつもりです」(喜多由浩)

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http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090213/acd0902130833003-n1.htm

【あなたを忘れない 戦没者遺骨収集のいま】(8)
2009.2.13 08:32

ジャーナリスト・笹幸恵さん(34)

世論から政治へのムーブメントを

 ガダルカナル、フィリピン、サイパン、硫黄島…。この4年間に訪れたのは15カ所。ときにはひとりで、ときには戦友会や遺族と一緒に、熱帯のジャングルに、サンゴ礁の島に入り、遺骨収集や慰霊巡拝の現場を見つめてきた。

 虫や毒ヘビもいれば、治安の悪い場所もある。もちろん、トイレなどはない。女性には過酷な場所だ。「そんなこと、おじいちゃんの世代の日本兵たちが味わった苦しみに比べたら、全然、大したことではありませんよ」

 こうした問題をテーマに取材を続けている若い女性ジャーナリストは珍しい。祖父は、シベリア抑留の経験者だったが、幼いころに話を聞く機会はなかった。戦争について、特別に強烈な体験をしたわけでもない。

 「だから、『なぜそんな取材を?』と聞かれても困るんです。普通の女の子がファッションや化粧品に関心があるのと同じように、この問題に関心があったとしか言いようがない」と苦笑する。

 それでも、取材を続けているうちに、遺骨収集の問題点が明確に浮かび上がってきた。関係者は高齢化する、現地での情報はますます少なくなる、現地人脈のネットワークもない…。

 「はっきりしているのは、今のやり方ではダメだということ。一部の人の思いや情熱ではなく、『遺骨収集をやるんだ』という国家としての意志やスタンスを明確に示し、新しい枠組みを作っていくことが必要なのです。もう、小手先では対応できません」

 その際に、イニシアチブを取るのは、官僚ではなく、政治の力だ。政治決断があれば、官僚は動かざるをえない。そして、政治を動かすカギを握っているのは「世論の動向」だとみている。

 「世論が動けば、政治は必ず動く。ムーブメントを起こさなければならない。だから、新聞、テレビの役割は大きいのです」

 大学や高校で、若い学生・生徒に遺骨収集について話す機会も多い。みんな、思いのほか真剣に耳を傾けてくれる。「今度、遺骨収集の現場に行くときは、私も連れていってほしい」という女子学生もいた。

 「若い人が関心がないなんてウソ。ただ、知らないだけなんです。話をすれば、高校生も真摯(しんし)に受け止めてくれました。だから、学校で遺骨収集のことを教えればいい。修学旅行で硫黄島へ連れて行けばいいんですよ」

 同世代の友人・知人もそうだ。男性よりも、むしろ女性が共感してくれる。「日本って、こんなことさえやっていなかったの。それはイカンよね。何とかしなくちゃね」って。

 戦後60年あまり。何もしなければ風化は避けられない。遺骨収集事業も終わってしまう。

 「20代、30代、40代が引き継いでいかねばならない。今こそ声を上げるべきなんですよ」=おわり
 (喜多由浩)
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産経新聞SS.jpg

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コメント 3

元気

硫黄島を舞台にした映画や作品が公開されても、それによって遺骨の回収が進んだと聞いたことがありません。
硫黄島の滑走路の下に今も眠る先人達。胸が詰まります。

日本を命を賭けて守るという意識が薄いのは、靖国を含めて先人の扱いが不誠実であるからだと思わずにはいられません。

国を守るためには、先人に対して敬意を持たねばなりません。
無関心であることは、とてつもなく(先人に対して、未来に対して)不誠実であると思わずにはいられません。
今、不誠実な政治家が日本を先導していますから… 最悪ですね。



by 元気 (2009-11-03 23:30) 

genn

すけろくさん、

御越しいただきありがとうございます。

by genn (2009-11-05 19:26) 

genn

元気さん、

国家と東亜のために命をかけて戦い戦死してしまった
英霊が放置されたままというのは 恥 です。
日本国家の恥だし、今を生きる我々の恥です。

そんな英霊と血のつながった日本人がたくさんいるのです。
今を生きる多くの日本人たちの祖父が放置されたままです。

「全ての英霊は日本に帰国していただいた」
と凛として言える国家になってほしい、そう思います。

by genn (2009-11-05 19:27) 

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