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独立英雄 [近代史+ (日本)]

いまインドネシアの人口は 約2.3億人、オランダは 1700万人足らず。

かつて そんなオランダが インドネシアを支配、
人口の規模は関係なく 武器がある連中と無い連中の関係。
傲慢で強欲な連中と 無垢で穏やかだった連中との関係。
インドネシアの民は奴隷にされ動物扱いされてた。
中国人がやってきて間にはいって搾取もした。
それはそれは惨めだったんだ、350年間も。
アジア人が白人に勝てるわけがない。

でも 60年ちょっと前に日本軍がやってきた。
あっという間にバントン要塞を陥落させオランダ軍は降伏した。
インドネシアの民は ぶったまげた。
同じ肌の色をした民が戦闘機を飛ばし武器をもちご主人様をやっつけた。

でも 日本軍は米軍に負けた。
オランダ軍に負けたわけじゃないけど連中は戻ってきた、
10万の兵士が戦闘機や戦車とともに。
また搾取するために。

でも 白人に勝てない という迷信から醒めたインドネシアの民は戦った。
搾取に怒り独立を支援するために残った日本軍残留兵 約1000名も戦った。
オランダ軍の無差別爆撃による 80万人の犠牲を払っても負けなかった。
4年たっても勝てないオランダ、
それに世界世論に戦争が続けられなくなった。

ついに オランダはインドネシアの独立を認めた。
ただし独立を認める代償 60億ドル、支配していた土地財産の権利保全、
油田の開発費の弁済をインドネシアに認めさせて。

それに敗戦後オランダは日本軍人 224人を処刑した。
平手打ちをされた仕返しだとか、食わされた飯がまずいとかそういった理由で。

しかしオランダ人をはじめ中国人(華僑)やオランダのしもべとなった
インドネシアの民とともに日本軍は 残虐で極悪非道なことをしまくった
と大騒ぎをし続けている。
更にはNHKや朝日新聞なども日本を徹底的に嘘でクサしている。

まだ生きている元日本軍残留兵で独立英雄がインドネシアにいるんだ。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091022-00000032-san-soci

インドネシア、元日本兵互助組織創立30年 語り継ぐ残留兵の足跡
10月22日7時56分配信 産経新聞

 終戦後もインドネシアにとどまり、対オランダ独立戦争を戦った残留日本兵の互助組織「福祉友の会」(本部・ジャカルタ)が、創立30年を迎えた。今も平均年齢90歳の4人の元残留兵が健在。当初の役割を終えた会は現在、次世代教育と日本とインドネシアの親善に力を入れる。会が設立した現地日本語学校の卒業生は1千人に達した。来日した元残留兵で同会創立メンバーの一人、宮原永治さん(89)は「会が両国の架け橋となって、残留兵の歴史を伝えてほしい」と話している。(飯塚友子)

                   ◇

 日本統治下の台湾出身の宮原さんは1940年、20歳で従軍を志願し、終戦後も現地にとどまって4年半の独立戦争を戦った。インドネシア政府から「独立英雄」に対して贈られた勲章が背広の胸に光る。「インドネシアの義勇軍とともに独立戦争を戦った残留兵は1千人近くいて、約700人が命を落とした。しかし日本政府はわれわれを脱走兵とみなし、存在すら把握していなかった」

 宮原さんもインドネシア独立後、さまざまな職を経て、冷凍設備会社の現地法人を経営。「生きるため、苦しい人生を歩んだ」と話す通り、61年にインドネシア国籍を取得するまでは無国籍状態で、台湾の両親に再会できたのも73年、31年ぶりのことだった。

 言葉が不自由で手に職のない残留兵が困窮する例は少なくなく、79年、宮原さんらがポケットマネーを出し合い、同会が発足。残留兵の実態を把握し、病人を助け、情報交換する場を設けた。

 残留兵の数が減り、互助会の役割を終えても、同会には「次世代教育」という新たな使命が待っていた。94年、戦時下のジャカルタの海軍士官クラブに勤務経験のある小倉みゑさん(88)からの寄付金をもとに、日系人向けの日本語学校「ミエ学園」を設立。これまでに約1千人が巣立ち、日系企業で働く卒業生も増えた。一方、インドネシア人向けの奨学金制度も受給者は計2800人を超え、草の根交流の礎となっている。

 9月末、東京都内で同会設立30年と、ミエ学園開校15年を祝う会が開かれた。宮原さんは日系人や支援者ら約130人を前に「両国の架け橋になって」と訴え、小倉さんは「インドネシアに恩返しができた」と笑顔を見せた。同会は現在、2世でパナソニックの現地法人副社長を務めるヘルサントソ衛藤会長(49)に引き継がれている。あいさつで衛藤さんは「かつて戦友会だった会のメンバーは今、2500人。心の友が集まる親友会になった」と話した。

 もちろんインドネシア独立に尽くした1世の歴史も語り継ぐ。代替わりした同会は2005年、残留兵の記録集を発刊。今回の来日でも衛藤さんは、来日した宮原さんや3世、4世を誘い、BC級戦犯や残留日本兵を扱った劇団四季のミュージカル「南十字星」を観劇した。終演後、宮原さんが「歴史的事実を伝えてくれ、ありがたい」と涙ぐむ姿を若い世代が見守っていた。

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