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天皇陛下 vs マッカーサー [近代史+ (日本)]

攻める日本軍に恐れをなしてフィリピンから部下をおいて逃げたマッカーサー。
日本を占領する際のGHQトップも このマッカーサーで
占領中に徹底的に日本を弱体化させるために あらゆる仕組をつくった。
天皇も処罰し靖国神社も破壊しようとしていた。

当初マッカーサーは わざと 天皇陛下へは会いに行かず
敗戦国の天皇陛下から会いにくるのを待っていた。
どうやって命乞いをするのだろうかと手ぐすね引いて待っていた。

礼儀をしらない傲慢で邪悪な男、マッカーサー。

ところが いざ天皇陛下がマッカーサーを訪れると
責任を負う、どうなってもいい、国民を守りたい
という旨を天皇陛下自らが言葉にした。

天皇陛下に私心はないし いつも国民の平和を願い祈ってきた。
高貴な 正に神聖な存在なのだ。

邪悪なマッカーサーは出鼻をくじかれた。

圧倒的な品位の違いがあった ということだ。

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http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/090927/imp0909270338001-n1.htm

【次代への名言】9月27日 ダグラス・マッカーサー
2009.9.27 03:37

 ■「天皇は私が話し合ったほとんど、どの日本人よりも完璧に、民主主義というものを理解していた」(ダグラス・マッカーサー)

 昭和20(1945)年のきょう午前10時。東京・駐日米国大使館で昭和天皇と連合国軍最高司令官、マッカーサーとの初会談がはじまった。含むところがあったのだろう。通訳を務めた御用掛、奥村勝蔵によれば、マッカーサーは傲然(ごうぜん)とした態度で、ときに奥村をどなりつけるように「天皇にこう言え」と命じたという。後に公開された有名な2人の写真はそんな雰囲気の一端を伝えている。

 だが、2回目を経て翌年10月の3回目の会談になると、「終始御順調で(マッカーサー)元帥は悉(ことごと)く(天皇陛下を)敬愛し奉り、信服し奉つて」(『入江相政日記』)いたという。その理由は、18年後に発表された自伝『回想記』にある、冒頭のことばに象徴されるだろう。

 昭和天皇に対する印象は別として、『回想記』の事実誤認の多さは、早くから指摘されている。昭和天皇がマッカーサーとの初会見で伝えた、とつづられた次の一節もそのなかに入るともいうが、あえて書き留めておきたい。

 「私がお訪ねしたのは、戦争の遂行にあたって、わが国民が政治、軍事両面で行った各々(おのおの)の決定と行動についてのすべての責任を負う者として、あなたが代表する諸国の裁決にゆだねるためである」
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産経新聞SS.jpg

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