日本語 [日本を知る]
いま世界で漢字を使っている国は中国と日本、それに台湾だけ。
日本はシナ大陸から漢字を輸入したけれども
そのまま使うことなく 大和言葉を維持しひらがなをつくり
日本語を昇華していった。
明治維新のころは 大量の言葉が日本で造られた。
日本漢語。その言葉 数千の言葉は シナ大陸に輸出された。
(大量のシナ人留学生がシナ大陸に持ち帰った。)
いま中国語から当時日本から輸出された言葉を抹消してしまうと
中国語での会話はなりたたくなる。
たとえば 中華人民共和国 の 3分の2。
「人民」と「共和国」は日本で造られた日本漢語、日本語。
他にも例えば:
権利、義務、社会、経済、演説、象徴、芸術、美学、典型、自由、民権など
しかも日本語には日本の伝統、文化、大和魂が組み込まれている。
これは ものすごい 強みだと思う。
「日本語は中国語より遥かにすぐれている」
という記事があった。
そう思う。
---
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090923/acd0909230305001-n1.htm
【次代への名言】9月23日・ヘボン博士
2009.9.23 03:05
■「日本人は実に驚くべき国民です。西洋の知識と学問に対する好学心は同じ状態にある他国民の到底及ぶところではありません」(ヘボン博士)
幕末が血煙にまみれる元凶となった「安政の大獄」がその総仕上げにかかっていた1859年のきょう(旧暦)、医師、ジェームス・ヘボンが宣教師として妻のクララとともに神奈川に上陸した。
「わたしの知っているわずかばかりの知識から判断して、日本語は中国語より遥かにすぐれている」。これは来日8カ月目の感想である。また冒頭は、それから2年後、幕府から派遣された大村益次郎ら9人の「高官」に英語や高等数学教育をほどこしたときの感嘆だ。
ヘボンの書簡や伝記を読むと、彼の日本へ献身は、神から授かった使命感によって支えられていたようだ。だから、外国人が最も敵視され、命も危うかった時代にも屈することなく計33年間、日本にとどまり、ローマ字表記を大成し、最初の本格的な和英・英和辞典を編纂(へんさん)する。
南北戦争が起きたとき、「米国民は神の鞭を要するのです。そしてその時が来たのです」とつづったヘボンにとって、日本は真の故郷となったようだ。明治25(1892)年、77歳で帰国する直前、こんな惜別の書簡を残している。
「わたしどもの年になって、“ふるさとなき旅人”となって世の中に出て行くのは、ほんとうにつらいことです」
BLOG RANKING:
20090927 11:04: 追記:「、それに台湾」
日本はシナ大陸から漢字を輸入したけれども
そのまま使うことなく 大和言葉を維持しひらがなをつくり
日本語を昇華していった。
明治維新のころは 大量の言葉が日本で造られた。
日本漢語。その言葉 数千の言葉は シナ大陸に輸出された。
(大量のシナ人留学生がシナ大陸に持ち帰った。)
いま中国語から当時日本から輸出された言葉を抹消してしまうと
中国語での会話はなりたたくなる。
たとえば 中華人民共和国 の 3分の2。
「人民」と「共和国」は日本で造られた日本漢語、日本語。
他にも例えば:
権利、義務、社会、経済、演説、象徴、芸術、美学、典型、自由、民権など
しかも日本語には日本の伝統、文化、大和魂が組み込まれている。
これは ものすごい 強みだと思う。
「日本語は中国語より遥かにすぐれている」
という記事があった。
そう思う。
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http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090923/acd0909230305001-n1.htm
【次代への名言】9月23日・ヘボン博士
2009.9.23 03:05
■「日本人は実に驚くべき国民です。西洋の知識と学問に対する好学心は同じ状態にある他国民の到底及ぶところではありません」(ヘボン博士)
幕末が血煙にまみれる元凶となった「安政の大獄」がその総仕上げにかかっていた1859年のきょう(旧暦)、医師、ジェームス・ヘボンが宣教師として妻のクララとともに神奈川に上陸した。
「わたしの知っているわずかばかりの知識から判断して、日本語は中国語より遥かにすぐれている」。これは来日8カ月目の感想である。また冒頭は、それから2年後、幕府から派遣された大村益次郎ら9人の「高官」に英語や高等数学教育をほどこしたときの感嘆だ。
ヘボンの書簡や伝記を読むと、彼の日本へ献身は、神から授かった使命感によって支えられていたようだ。だから、外国人が最も敵視され、命も危うかった時代にも屈することなく計33年間、日本にとどまり、ローマ字表記を大成し、最初の本格的な和英・英和辞典を編纂(へんさん)する。
南北戦争が起きたとき、「米国民は神の鞭を要するのです。そしてその時が来たのです」とつづったヘボンにとって、日本は真の故郷となったようだ。明治25(1892)年、77歳で帰国する直前、こんな惜別の書簡を残している。
「わたしどもの年になって、“ふるさとなき旅人”となって世の中に出て行くのは、ほんとうにつらいことです」
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20090927 11:04: 追記:「、それに台湾」
yukikazeさん
すけろくさん
いつも nice! ありがとうございます。
by genn (2009-10-01 19:33)