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記念艦 「三笠」 [坂の上の雲]

日露戦争、日本海海戦にて

1905年5月27日 2時5分、
旗艦「三笠」、東郷平八郎は後続する連合艦隊も全てを敵前にてUターンさせた。
これは世界の非常識だったらしい。 なぜならUターン中の戦艦は砲撃できず、
しかも向かってくる敵からみれば定位置になるから砲弾を命中させやすい。

しかしこの Uターン後の敵艦隊への接近圧力(Tの字の軌跡)で進路を塞がなければ
残らず捕捉し撃滅することはできない、東郷平八郎の英断だ。

2時8分、
ロシア・バルチック艦隊の旗艦「スワロフ」のロジエストウエンスキー
は油断した、3分のロスをもって「三笠」に向けて砲撃を命じる。

もちろん「三笠」は無傷ではなかった。
敵弾が何発も着弾する。
しかし致命傷ではない。
それに多くの砲弾は外れまくった。

なぜなら「本日天気晴朗なれども波高し」であり砲弾を命中させるのは容易ではなかった。
しかも長旅で疲弊したバルチック艦隊戦闘員は どいつもこいつも砲撃しまくった、
つまりどの砲弾が どの着弾地点かもよくわからず距離感がでたらめだ。

2時11分、
連合艦隊の砲撃が始まった。
猛烈な訓練の成果を示す時だ、有言実行「コレヲ撃滅セントス」。
まずは一発、二発ぶっ放し、距離を把握、続いて一斉に「スワロフ」他に向けて砲撃が始まった。

圧倒的な命中弾を浴びせることになる。
しかも日本が開発した下瀬火薬はたとえ敵艦に命中せずとも海面で爆発、
数千度の火力が海面を怒涛の勢いで走り敵艦上を炎上させ灼熱化した武器は使い物にならなくなる。

2時50分、
旗艦「スワロフ」は戦闘能力を失い、続く戦艦も次々と炎上し沈没していく。
戦闘開始から 30分で戦いの大勢は決まった。
欧州から7カ月以上かけてやってきたバルチック艦隊は「撃滅」されることになる。

参照:「Z旗」http://www.z-flag.jp/


日露戦争に勝利する日本。
しかし東郷平八郎は言う 「勝って兜の緒を締めよ」

ちなみに東郷平八郎は戦艦「浪速」でハワイへ向かい
ハワイ王朝を滅亡させた米国に無言の抗議をした男だ:

「ハワイ王国」http://devlin.blog.so-net.ne.jp/2009-05-03


なお戦艦「三笠」は現存する。
記念艦館「三笠」として神奈川県は横須賀にある:

http://www.kinenkan-mikasa.or.jp/index.html


「三笠」は 世界三大記念艦のひとつ。

イギリス海軍の誇りの象徴「ヴィクトリー号」、
アメリカ海軍の伝統、愛国心と誇りの象徴「コンスティチューション号」、
それに日本民族の誇りと自信の象徴「三笠」。

1925年、国民の声と運動で解体予定だった「三笠」は記念艦として保存された。
しかし米軍が日本を占領すると 娯楽施設、ダンスホールにしやがった。
ソ連からも撤去要求がくる。
日本人から誇りを奪い、徹底低に卑しめようとする連中だ。

記念艦「三笠」は荒廃していった。

しかし、一方で これを憂いたイギリス人ジョン・S・ルービンや
チェスター・ニミッツ提督の働きかけで復元保存されることになっていく。


記念艦「三笠」には当時の軍備や設備、背景説明があったり
電気+機械仕掛けの模型で 連合艦隊とバルチック艦隊の当時の戦闘状況が見れたりする。

「三笠」はもう海に浮かんでるわけじゃない、海沿いの陸上に鎮座している。

しかしデッキに上がり当時の時代、状況に思いを馳せると
その凄さを感じられる、なにか 誇らしい気分になる。

http://buzzmap.so-net.ne.jp/devlin/spot/45467
20090615_東郷平八郎・戦艦三笠.jpg

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