友好の証 (トルコ) [近代史+ (トルコ)]
「日本への親善訪問を終えたトルコの軍艦「エルトゥールル」は明治23年9月に横浜港を離れた。
台風接近の警告が出ている中での出航だった。
紀伊半島沖に達したところで 2400トンの木造艦は凄まじい暴風雨に巻き込まれる。
最後は舵も利かず、串本港近くの岩礁に激突して沈没した。
付近の漁民が嵐の中、命がけで遭難者の救出に当たり、
それでも全乗組員の1割 69人を助け出した。
彼らは翌年、3本マストの戦艦「金剛」で本国に無事帰り着いた。
トルコ側はこの救難劇で見せた日本人の厚情にいたく感激する。
その2年後、ハワイ王朝が米国の陰謀で取り潰されたとき、「金剛」がホノルルに乗り込んで
米国の非道を世界に訴えたことも、トルコ人を大いに感動させた。
(参考: http://devlin.blog.so-net.ne.jp/2009-05-03)
そんな思いもあって日露戦争が起きるとダーダネルス海峡を閉めて黒海のロシア艦隊を
足止めして日本にエールを送った。
1985年、サダム・フセインはイランを飛ぶ全ての民間航空機に対する無差別攻撃を通告してきたが、
どの航空会社も自国民を優先する。
邦人は積み残され、結局200人を超す邦人がテヘランの空港に取り残された。
日本では日航が危険だからとフライトを拒み、朝日新聞や社会党は日本人が何人死のうが構わない、
憲法に反する自衛隊派遣は許さないと大騒ぎする。
時の首相は中曽根康弘。
中国がコワくて靖国にも行けない人だからめんどう事は一切やらない。
そんなときトルコ航空機 2機が、テヘラン空港に降り、
取り残された日本人215人を収容して成田に運んでくれた。
これも「エルトゥールル号のお礼」だった。」
--- 以上、週刊新潮(’08.2.14) 変見自在 “露助” 高山正之著 から抜粋 ---
命がけでトルコ人を助け、命がけで日本人を助けてくれた。
これが普通にあるべき関係だ。
毅然とした大和魂、日本精神があった。
昨年 6月、トルコのアブドラ・ギュル大統領が
和歌山県串本町にあるトルコ軍艦、エルトゥールル号の慰霊碑を訪れ
犠牲となった乗組員の追悼式に参列している。
トルコと日本の友好関係は続いていた。
ところがトルコから日本へ、新潟県柏崎市のテーマパーク「トルコ文化村」に
友好の証として寄贈された建国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領の銅像
が倒され野ざらしにされるなど非道な扱いをされている。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/070930/trd0709301643010-n1.htm
テーマパーク破綻で施設を売却する際に腑抜けな役人は この銅像も転売してしまった。
トルコ大使から売却の再考を求められたにも関わらずこれを無視した役人。
大バカ者たちだ!
しかも売却する際には一般的に附帯する「買い戻し特約」を何故か故意に削除した。
そして売却先の結婚式場も破綻、中越沖地震の影響で銅像は倒され野ざらしとなる。
(今は屋内で保管…ただし、批判を浴びたからだ。)
そして柏崎市と売却先、敷地地権者間の訴訟合戦で銅像は身動きできずにいる。
情けない。
トルコの対日感情は年々悪化してしまっている。
なぜ、銅像も売ってしまったのか、なぜ買い戻し特約をつけなかったのか、
役人を徹底的に追及し、反省させ、世間に公知させ、
二度とこのようなことがないようにしなければならない。
それができなけば こんな腑抜けな役人はクビにすべき。
そして何よりも一刻も早くこの銅像を誇り高い扱いとされるようにしなければならない。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090506/trd0905060153000-n1.htm
http://www19.atwiki.jp/torco/
http://www.shomei.tv/project-932.html
日本精神を大いに復活させないといけない。
エルトゥールル号:
参考(写真): http://pht.so-net.ne.jp/photo/genn/albums/154687
BLOG RANKING:
台風接近の警告が出ている中での出航だった。
紀伊半島沖に達したところで 2400トンの木造艦は凄まじい暴風雨に巻き込まれる。
最後は舵も利かず、串本港近くの岩礁に激突して沈没した。
付近の漁民が嵐の中、命がけで遭難者の救出に当たり、
それでも全乗組員の1割 69人を助け出した。
彼らは翌年、3本マストの戦艦「金剛」で本国に無事帰り着いた。
トルコ側はこの救難劇で見せた日本人の厚情にいたく感激する。
その2年後、ハワイ王朝が米国の陰謀で取り潰されたとき、「金剛」がホノルルに乗り込んで
米国の非道を世界に訴えたことも、トルコ人を大いに感動させた。
(参考: http://devlin.blog.so-net.ne.jp/2009-05-03)
そんな思いもあって日露戦争が起きるとダーダネルス海峡を閉めて黒海のロシア艦隊を
足止めして日本にエールを送った。
1985年、サダム・フセインはイランを飛ぶ全ての民間航空機に対する無差別攻撃を通告してきたが、
どの航空会社も自国民を優先する。
邦人は積み残され、結局200人を超す邦人がテヘランの空港に取り残された。
日本では日航が危険だからとフライトを拒み、朝日新聞や社会党は日本人が何人死のうが構わない、
憲法に反する自衛隊派遣は許さないと大騒ぎする。
時の首相は中曽根康弘。
中国がコワくて靖国にも行けない人だからめんどう事は一切やらない。
そんなときトルコ航空機 2機が、テヘラン空港に降り、
取り残された日本人215人を収容して成田に運んでくれた。
これも「エルトゥールル号のお礼」だった。」
--- 以上、週刊新潮(’08.2.14) 変見自在 “露助” 高山正之著 から抜粋 ---
命がけでトルコ人を助け、命がけで日本人を助けてくれた。
これが普通にあるべき関係だ。
毅然とした大和魂、日本精神があった。
昨年 6月、トルコのアブドラ・ギュル大統領が
和歌山県串本町にあるトルコ軍艦、エルトゥールル号の慰霊碑を訪れ
犠牲となった乗組員の追悼式に参列している。
トルコと日本の友好関係は続いていた。
ところがトルコから日本へ、新潟県柏崎市のテーマパーク「トルコ文化村」に
友好の証として寄贈された建国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領の銅像
が倒され野ざらしにされるなど非道な扱いをされている。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/070930/trd0709301643010-n1.htm
テーマパーク破綻で施設を売却する際に腑抜けな役人は この銅像も転売してしまった。
トルコ大使から売却の再考を求められたにも関わらずこれを無視した役人。
大バカ者たちだ!
しかも売却する際には一般的に附帯する「買い戻し特約」を何故か故意に削除した。
そして売却先の結婚式場も破綻、中越沖地震の影響で銅像は倒され野ざらしとなる。
(今は屋内で保管…ただし、批判を浴びたからだ。)
そして柏崎市と売却先、敷地地権者間の訴訟合戦で銅像は身動きできずにいる。
情けない。
トルコの対日感情は年々悪化してしまっている。
なぜ、銅像も売ってしまったのか、なぜ買い戻し特約をつけなかったのか、
役人を徹底的に追及し、反省させ、世間に公知させ、
二度とこのようなことがないようにしなければならない。
それができなけば こんな腑抜けな役人はクビにすべき。
そして何よりも一刻も早くこの銅像を誇り高い扱いとされるようにしなければならない。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090506/trd0905060153000-n1.htm
http://www19.atwiki.jp/torco/
http://www.shomei.tv/project-932.html
日本精神を大いに復活させないといけない。
エルトゥールル号:
参考(写真): http://pht.so-net.ne.jp/photo/genn/albums/154687
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友好の証として贈呈された英雄の像を、ここまで粗末に扱うなんて!
正常な感覚とは思えません。
by きんちゃく (2009-05-10 14:39)
きんちゃくさん、
たまげますよね。
そんな不埒な振る舞いは即刻正さないといけません。
genn
by genn (2009-05-10 21:51)